猫を起こさないように
異世界転生
異世界転生

アニメ「全修。」感想

 モンハンワイルズ、アルコールを入れながら、就寝前に1時間ぐらいプレイしてる。本作のハンターはあまりに強すぎるため、「どんな危機的な場面でも、アクビがでるようになった範馬刃牙」みたいな状態に陥っており、おかげさまでアニメの”ながら見”が、非常ないきおいで進捗するのであった。それにつけても、いつまでもいつまでも終わらぬ、異世界転生モノの隆盛であることよ。どの作品も「文明国家に住まう者が、一等地劣った土人に文化を啓蒙する」というフォーマットになっており、作り手は「豊かな社会における消費者である自分」を最上の価値に置き、なんら変わることも傷つくこともなく、おのれ以下の存在をただ描写すればいいのだから、これほど楽なことはあるまい。もっと言えば、異世界転生モノはいまや「衰退国家に住まう貧者を慰撫する、マイルドなパトリオティズム」として機能し、暴力革命をいっそう遠ざけている側面は、まちがいなくあるだろう。ドカチンの日銭で食らう冷えたコンビニ飯も、画面の中でエルフ女が頬を赤らめながら「おいしーい!」とほめてくれれば、相対的な優越感によってハッピーでいられるというカラクリだ。

 そんなわけで、ひどく厭世的な気分を引きずりつつ、「全修。」を最終話まで見終わったのであった。この作品、異世界転生をとりあつかってはいるものの、近年ではめずらしい原作なしの完全オリジナル脚本で、第1話の巨神兵パロディがエッキスでバズッていたのをご記憶の向きも多かろう。実のところ、その地点が本作のおもしろさのピークになっていて、以後は「巨匠による渾身の一作のはずが、なぜ興行的な大爆死へといたったか?」をメタ的にトレースするような展開のまま、ズルズルと終わっていった印象である。過去のスーパー・アニメーターたちの作画をパロディ的に再現し続けるのかと思いきや、メインストーリーをシリアスに語るほうへと次第に軸足は動いてゆくのだが、その内容からは膨大な過去作の最突端にいる自覚も技巧も、皮肉なことに感じられなかった。全体的にクリエイター礼賛の色あいも濃く、本来ならば私がもっとも嫌うたぐいのアニメであるはずだ。点数を聞かれれば、もちろん0点をつける。しかし、最終2話はずっと泣きながら見ていた。虚構内虚構である「滅びゆく物語」の、ありきたりな設定とおぼつかない語り口へ、ネット巨匠・小鳥猊下による、どこにもたどりつかなかったライトノベル「MMGF!」を重ねてしまったからである。

 2次元のキャラにいだいた幼少期の恋慕だけをよすがとして、現実での喜びをすべて手ばなしてアニメーション制作へと傾倒させてしまうほど、だれかの心へ”届いて”しまう強度をあらゆる作品が持ちうることに、「挫折した創作者」としての自我をなぐさめられる思いがしたのだろう。大手スタジオによる新進の育成を目的とした実験作だとのふれこみも見かけたが、「ハッピーエンドだけがエンタメと思うな」みたいな、のぼせあがった若造の若書きもふくめて、どんなつたない作品だろうと、いったん世に出てしまったならば、受けとめた者の人生を変革させる可能性があるというメッセージを、不出来な「全修。」は不出来ゆえに、意図せず放射しているのである。小鳥猊下のもとにも、いつか手汗と付箋でよれよれになった「MMGF!」を胸元に抱いた美少女監督がやってきて、頬を赤らめながらアニメ化のオファーをおずおずと申し出てくれることを妄想しつつ、このいじましい感想文を唐突に終わる(図らずも、「生きながら萌えゲーに葬られ」と同じエンディング)。