猫を起こさないように
ダイヤモンドの功罪
ダイヤモンドの功罪

雑文「M. Wilds and J. AYASEGAWA」(近況報告2025.3.19)

 モンハンワイルズ、複数の武器種をわたり歩きながら、ハンターランクは140を越え、そろそろ起動するのが億劫になってきた。いったん始めてしまえば、軽快なアクションと適度な難易度(重要)で、2時間ほどを没頭して楽しくプレイできることはわかっているのだが、なかなかそこまでたどりつかない。ワールドの末期もちょうどこんな感じだったなと回想しつつ、今日も今日とて、「せっかくの休みだし、ワイルズやらないとな……」と頭の片隅で思いながら、一種の逃避行動としてーーよりイヤなものがあると、よりイヤでないものに耐えられるーー艦これイベント海域に着手してE2をクリアしたばかりか、そのかたわらでダイヤモンドの功罪7巻までの3度目の通読をはたしたのであった。そこから、さらに平井大橋熱が冷めやらず、ヤングジャンプのアプリをインストールして、最新78話までを読了した現時点での、本作に関する印象を述べておきたいと思う。

 以前の感想に「人物の書き分けやコマ割に目を引くところはないが、少女漫画の文法に沿った心理描写でグイグイ引きこまれる」みたいなことを書いたが、3度目の通読を終えて、ダイヤモンドの功罪はストーリー構成が”群抜き”であることに気づいた。唐突な時系列の跳躍から過去現在をジグザグにザッピングしたり、長々ロングスパンでだれもが忘れている伏線回収を行ったり、この作者は読者よりもはるかに高い位置から作品世界を鳥瞰していることがわかる。世界大会の決勝マウンドから優勝記者会見への場面転換もそうだし、ジュニア全国大会の開会式でかつての面々を再会させて、さんざん読者の期待を高めておきながら、翌週には1年後に綾瀬川が自宅でコンタクトレンズをはめるところへ時間を早送りするなど、たとえばかつてのファイブスター物語のように、作品世界の始まりから終わりまでの全年表が作者の頭の中に存在していて、そこからどの場面をだれの視点で語るかを取捨選択しているとしか思えない構成の仕方になっているのだ。

 さらに言えば、この作者はみずからの長年の妄想の結晶体であるダイヤモンドの功罪の世界をしか「描けないし、描かない」のだろうと推測する。新人賞を獲得した読切作品をふくめて、だれかに読ませたり理解されることを前提としない、しかし、作者にとっては唯一無二の重大な物語であるという意味で、ヘンリー・ダーガー的なものを強く感じるからである。デビュー作であるゴーストライトを読んでいなければ、綾瀬川の才能に対置される存在である大和くんの初登場シーンはかなり唐突で、この人物が作中で重要な役割を占めるようになるとは、まったくわからないだろう。綾瀬川次郎と園大和は、平井大橋にとってあまりに自明すぎる、運命に導かれたヴィヴィアン・ガールズであり、自分以外のだれかに「理解してもらう」ために、説明をくわえる必要性を感じなかったのではないかとさえ思う。「連載開始前から、すでに数千ページにおよぶ草稿やラフ原稿が作者の自宅の押入れに存在し、それをどの順番で再構成して清書するかにだけ、四苦八苦している」ような凄みと怖さを、ダイヤモンドの功罪という作品からは感じてならないのだ。

 もしかすると、その創作手法こそが、たびたび引きあいにだして申し訳ないが、メダリストーーアニメの出来には毎週ガッカリし続けているーーの行間をすべて埋めていく足し算的な作劇に対して、描かれていない部分にこそ重要な情報が存在する引き算的な作劇に見える理由なのかもしれない。少年野球をとりまく大人たちの思惑や感情も、ストーリーが進むにつれて生々しさーー綾瀬川を隠語で”A”呼ばわりするなどーーを増してきており、もしかすると作者の属性は「子育てを終えて、時間のできた主婦」ではないかと、ここに放言してみる次第である。そんなわけで、パブリッシャー諸氏は、そろそろエンプティ・ネストで無聊をかこつ小鳥猊下を発見していただいても、いっこうにかまわない(唐突かつ台無し)。

 あと、先週に公開したモンハンワイルズ記事のアクセス数が急増しており、どうもメチャクチャ読まれているようなのだが、グーグルやエッキスを検索しても出元は不明のままで、どこからだれが来ているのかサッパリわからない。「底抜けにオープンで、世界をひとつながりにしていたインターネット」はもはや背後に過ぎ去り、ここがさまざまの小さなセクト(ディスコード?)に細分化された、現実のカーボンコピーを格納するだけの場所になってしまったことを、古い人間としてはすこしさびしく思う。

質問:既にご存知かもしれませんが、「平井大橋」という橋が実在してて「綾瀬川」にかかってる、、のを知ったときは本当にこの作者はこの世界を・綾瀬川次郎を世に知らしめるだけに漫画家になったのかな、、と震えたことがありました。確かに物語の全てはもう出来上がってるのかもしれませんね。
回答:恥ずかしながら初耳だったので、話を聞いて背筋がゾッと寒くなりました。逆光で顔を黒く塗る演出も、昔の少女漫画で見たことがあるような気がするし、休載の頻度から考えて、いよいよ作者は「親の介護がはじまったアラカン主婦」である可能性が高まってきましたねー(妄言)。

漫画「ダイヤモンドの功罪(7巻まで)」感想

 「巨人・大鵬・卵焼き」世代の父親は、息子が小学校にあがると、”とりあえず”近所の少年野球団やリトルリーグへ入れるものです。当時の土曜日は半ドンで授業があったものですから、その少年は毎週の貴重な日曜日を野球の練習に費やすハメになります。入団初期の歓待の季節が終わり、様々なポジションをたらい回しにされるうち、周囲の失望がつのっていくのを肌で感じながら、辞めるという選択肢はあらかじめ封じられています。そうして、「親の好きなものを子は嫌いになり、親の嫌いなものを子は好きになる」の法則どおり、野球を心の底から憎む人間の”いっちょあがり”ーーいやだなあ、ぜんぶ一般論ですよ!ーーとなるのです。野球をめぐる今昔の印象を述べておくと、ダラダラとゴールデンタイムを2時間も3時間も占有していた野球中継が地上波から消滅したのは人類の叡智を証明するものですが、オータニ・ハラスメントなる言葉を生むほど加熱したMLB報道はメディアの不明と変化できなさを如実に表していると感じています。ともあれ、昭和時代に幼少期を過ごしただれかは、野球なる遊戯に対してなんらかの態度を表明せねばならず、ほがらかな無関心でいることは、けっしてゆるされなかったのです。そんなわけで、きょうはウッカリ読んでしまった「ダイヤモンドの功罪」について、旗色を鮮明にしなくてはなりません。ちなみに、野球漫画の体験の更新としては、キャプテン以来となります(タッチは恋愛漫画なので、ノーカン)。

 温泉とサウナと漫画喫茶が複合したような施設でこのタイトルを見かけ、以前にエスエヌエスで1話が話題になっていたのを思いだしたことと、トラウマのカサブタをはがして血がにじむのを見たいという被虐の欲望から、1巻を手にとったのが運の尽きでした。帰宅後、すぐさま既刊全巻を一括購入して読破した結論から言えば、本作はまぎれもない”ホンモノ”であり、過去の古傷からの大量出血であやうく死んでしまうところでした。フィクションの筋書きが出つくして飽和状態をむかえている現在、まだこんな鉱脈が残されていたのかと、感心することしきりです。ダイヤモンドの功罪を低級なほうの虚構で例えれば、「大人がしっかり描けていて、不幸が予定調和的ではない、タコピーの原罪」であり、高級なほうの虚構で例えれば、「今西良が持つ人を狂わせる妖艶な魅力を、野球の才能へと置換した、真夜中の天使」とでもなるでしょうか。本作に描かれる様々な感情は、どれもじつにヤオイ小説的であり、かつて小説道場で栗本薫を狂喜させた”おすもうJUNE”ーー関取どうしの男色モノで、セックスの2回戦を「2番もあるんだぜ」と表現ーーがなぜか脳裏をよぎりました。けっして上手な漫画とは言えず、人物の描きわけも髪型と髪色と虹彩だけなのでたいそう混乱するし、構成やコマ割りにとくだん目を引くものがあるわけでもありません。ただ、才能の魔性に魅了されて狂っていく大人たちと、その熱病にあてられて関係性を壊されていく子どもたちの心理描写が、おそろしいほど真に迫っているのです。

 特に、U-12日本代表のセレクションへ無断で動画を送りつけた少年野球の監督との車中におけるやり取りは、いまだおのれの魅力に気づかぬ無垢なる少年と、狡猾な野獣と化した大人との間にある淫靡な力関係が濡れ濡れと匂いたっていて、あまりのエロティックさに背筋へ電流が走りました。それに続く、元プロ野球選手のコーチが圧倒的な才能を前に我が子への興味を失い、息子に野球の才能が無いのは「不倫の托卵」だからではないかと妻に言い放つのを、本人が部屋で聞いてしまう場面は、かつてヤオイ小説と呼ばれたボーイズラブに描かれていた、文学的深淵と同じ領域にまで達しています。本作に遭遇してしまったことで、「野球の才能を見限られ、両親の関心が他のきょうだいに移った瞬間」や「野球の得意な友人と自分の父親が、楽しそうにキャッチボールをする光景」が記憶の底から数十年ぶりによみがえり、おのれのうちにまだ残されていた「かわいそうな子ども」を発見して、嗚咽をともなうほどの大泣きをしてしまいました。この作者はたぶん女性で、「野球狂いの父親の影響を直接には受けず、兄か弟の野球遍歴を客観的に見つめることができた」というバックグラウンドを持っているような気がします。本編もそうですが、単行本のオマケ漫画のワチャワチャした感じが、男性作家では表現できない読み味になっているからです。社会通念に由来する読者からの根づよい偏見を避けるため、「つるまいかだ」や「平井大橋」などのジェンダーレスなペンネームを使いながら、かつてはBLや少女漫画がオハコとしていた細密な心理描写を少年誌や一般誌で再現するーーメダリストに続き本作にふれて、少女漫画は衰退したのではなく、新たな大地に種をまいて、新たな生命を芽ぶかせ、その歴史的な役割を終えたのだなと強く感じました。

 今後のストーリーですが、デビュー作や読み切りで描かれた未来の時間軸へ合流していくと仮定するならば、「綾瀬川が野球を辞める区切りと決めた試合において、大和くんがことごとく彼からホームランを打ち、野球を続けざるをえなくなる」という展開になるのでしょうか(さらに時間が進めば、ネタバレを避けて言うなら、フィールド・オブ・ドリームスになる)。いずれにせよ、作者はおそらく女性であり、心理描写が少女漫画の文法に沿っていて、突発の男性的な衝動によって物語や主人公を壊される(シンエヴァ!)心配がないのは、大きな安心材料だと言えるでしょう。ダイヤモンドの功罪の作者が、例えば新井英樹ではなくて、本当によかったですね! もしそうなら、タコピーのハイパー・アッパー・バージョンな「予定調和の不幸」で綾瀬川の野球の才能を、彼の人生ごとグッチャグチャにしたでしょうから(RINを想起)! あと、関西弁が関西人から見ても自然なのは好印象で、アニメ化のさいはキチンとネイティブ・オオサカン、あるいは子役をゼロからオーディションしてキンキィ・キッズーーやだなあ、「近畿地方の子どもたち」って意味ですよ!ーーをそろえてほしいと思いました。