猫を起こさないように
キリスト教
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アニメ「チ。」感想

 モンハンワイルズ、本当にやることがなくなってきたので、「すべての防具を生産する」という奇行にはしっている。そうすると、「グラシスメタル」「ユニオン鉱石」「交換でしか入手できない素材」「交換でしか入手できない素材と交換する素材」がぜんぜん足りないことに気づいてしまうわけです。アニメをながら見しつつ、すっかり存在を忘れていた最終ならぬ採集装備に身をかためて、素材あつめマラソンを開始するハメになるのですが、これがまた、きわめてダッルい作業なわけです。適当なクエストを受注して、採取ポイントをR3ボタンで指定して、オートランの移動をボーッとながめて、すべてのスポットをまわり終わったら「クエストから帰還」を延々とくり返すのですが、総プレイタイム100時間超かつハンターランク250越えで、それぞれの素材スポットに15分程度のリポップ時間が設定されていることを、いまさら発見しました。でもこれ、クエスト終了やテントでの休憩ごとに待ち時間がリセットされるので、ゲーム的にはほぼ意味がありません。そのくせ、食事の効果時間はクエストと休憩をまたいで継続するし、「過去作と同じクエスト受注方式へと、泣く泣くもどす」以前のバージョンは、確実に存在していたと思われます。エルデンリングがデータの使い回しでムジュラの仮面みたいなのをリリースするみたいですし、いっちょモンスターハンターも「クエスト制を廃止して、同一サーバー内のすべてのプレイヤーに同じ時間が流れる」MOバージョンを出しましょうよ。2つのゲームで、売り上げも2倍だな(いにしえの呪言)! サブタイトルはズバリ、「リアル・ワイルズ」で! こっちでマルシーとっときますからね!

 さて、いつものごとく本題はここからなのですが、陰鬱な素材あつめのカタワらで、アニメ版の「チ。」を最終話まで流してしまいました(リスニング主体なので、「見て」とは申しません)。以前、原作マンガについて感想を述べたことがありましたが、いま読みかえすと1巻の段階では、理系への嫉妬とともに、今後の展開へ期待を表明しています。マンガにうといゲーム好きーーいるのか?ーーのために内容をゲームで例えますと、本作は地動説をめぐる「俺の屍を越えてゆけ」になっているのです。主人公はどんどん死んで入れかわるけど、目標とステータスは後続に引き継がれるというアレです。今回、原作そのまんまに朗読されるセリフをあらためてリスニングしていて気になったのは、「すべての登場人物が、同じレベルの言語運用能力を持ち、同じ語彙プールから選択している」ことでした。つまり、この作品はシンエヴァ以降に顕著となった「キャラのガワはちがっても、全員が作者の考えを代弁している」物語群のひとつに分類され、畢竟「フィクションへと仮託した自分語り」にしかなっていないのです。ハッとさせられる言い回しや感動的な場面もあるにはあるのですが、同質のボキャブラリーによる「殉ずる分野へ生命を賭すことさえいとわない、ウソくさい内面の同一性」が巻を追うにつれ、物語全体を単調なモノトーンにベタッと塗りつぶしてしまいます。さらに言えば、主題である地動説はもちろん、活版印刷などの実在する理論や技術を、発生当時から数百年が経過した歴史家の視点を持つ主人公たちが、ほとんど未来視のように語って、暗黒の中世を生きる「未開と文明」のモブたち相手に「論理で無双する」展開ばかりがずっと続いてゆきます。

 作り手にその意図はないのかもしれませんが、本作は「みずからの立ち位置は変更せず、対象を相対的に下げることでカタルシスを得る」近年の異世界転生モノと、なんら本質的に変わるところはありません。自覚的にその優越を摂取しにいく楽しみ方を否定はしませんが、「チ。」という玉に刻まれた瑕疵は、これだけにとどまらないことが、さらなる問題として挙げられます。アニメにうといゲーム好きーー本当に、いるのか?ーーのために、本作のストーリーをゲームで例えますと、「俺の屍を越えてゆけ」の最終主人公ーー仮に、名前は”鵺子”とでもしておきましょうか……仮にですよ!ーーがおのれの係累とは異なった血脈から出現し、数十時間におよぶプレイの結晶であるステータスの引き継ぎもないままに、単騎でラスボスの打倒に成功したみたいな、当のプレイヤー・イコール・読者にとって納得をえられない、意味不明の展開になっているのです。オイ、ハナからキリスト教と書きゃいいものをブルッちまって”C教”表記にして、「現実の歴史と関係ありませんよ、厳密な考証なんてしませんからね」とさんざん逃げ腰だったくせに、「やっぱり、最後はコペルニクスにつなげて幕を閉じたいな……」じゃねーんだよ! ラスボスの審問官が死んで、本が出版されたところで終わっときゃ、まだかろうじて読めたものを、これじゃ地動説をリレーしてきた全員が犬死にの無駄死にじゃねーか! このお話はフィクションだって1話から宣言してんだから、最後までフィクションのカタルシスに殉じろよ! 連載中の反響か、あるいはおそれていた耶蘇方面からの”反響のなさ”で方針転換したんだろうが、世間様を気にしてビクビクと臆病なくせに、肝心かなめのやり口がいちいちこざかしいんだよ! マンガとアニメ、両方を最後まで見させられたオレの死に時間をかえせよ(それはキミのせい)!

 あと、このアニメ、なぜか光源のない夜の場面が異様に暗く表現されていて、目をこらさないとなにが描かれているのか視認できないぐらいなのです。しつこくゲームで例えておくと、近年のオープンワールドの開始時に設定させられる、「模様がかすかに見えるようにしてください」という明暗スライダーの調整に大失敗したあげく、二度とコンフィグをさわらせてもらえないと表現すれば、未視聴のゲーマーには伝わるかもしれません。アニメの演出も、受け手の快不快を無視して作り手のこだわりを押しつけてくるあたり、原作ソックリだなと考えていたら、怖い可能性に気づいてしまいました。それは、「この画面の暗さは、白人の虹彩をベースに設計されているのではないか?」という疑惑です。つまり、ネトフリによる世界配給で本当にリーチしようとねらっていたのは、もしかすると白人のキリスト教徒だったのではないかという可能性です。まったく、臆病から傲慢へ突然に大跳躍できるのは、オタクどもの深刻な悪徳ですね! そもそも、この程度のマンガ(失礼)が放送前から枠を2クール押さえてもらって、全巻全話ひとつのセリフも余すことなくアニメ化って時点で、相当におかしな話ですからね! 以前も書いたような気がしますが、東大を卒業して大手出版社に入社したものの、望まぬマンガ部署へ配属されて腐っていた新人ーー編集王を想起ーーが、本作と運命的な出会い頭の事故を起こした結果、「愚かでチョレー大衆を、この書物でボクが啓蒙してやるんだッ!」と意気ごみ、モーレツな社内外でのプレゼンから世界を獲りにいったーー「”獲る”んじゃないス……”刺し”に行くんスよ……(!?)」ーーみたいな内幕があったとしか思えません(耶蘇へのオラついた挑発は、無視されたようですが……)。ともあれ、このムダに回転数の高い、傾ける情熱の方向性をまちがえた東大卒の編集者(幻影)には、次に小鳥猊下をプロデュースしてほしいと思いました。どっとはらい。