猫を起こさないように
日: <span>2025年3月10日</span>
日: 2025年3月10日

ゲーム「モンスターハンター・ワイルズ(下位クリアまで)」感想

 モンスターハンター・ワイルズ、発売日から有給をとって週末ぶっとおしの70時間プレイでハンターランクを100にしておきながら、「ボリュームが少ない!」などとほざく他責思考の貪食イナゴを横目に、1日2時間の優雅な貴族プレイでたっぷり1週間ほどかけて下位をクリアして、いちおうのエンディングを見たところである(悪文)。以下のテキストを記述するのは、本シリーズを右スティックで攻撃していた無印の初代からずっとプレイし続けてきており、PS2版のドスーー「まあ、自然は厳しいってことで(笑)」ーーが最高傑作であると信じて疑わない、とりあえず大剣1本で全クリしてから他の武器種に食指を動かすぐらいの、ただの人間ーー北斗の拳での用法ーーである。まずはじめに指摘しておくと、人気アクションゲームのシリーズ続編がかかえる避けがたい宿命とは、「前作の完成度がどれほど高かろうとも、”必ず”新システムを導入しなければならないこと」だろう。ワイルズにおいては「集中モード」がそれにあたり、「機動力を犠牲に、部位破壊がしやすくなる」という、思わず制作側の心中をお察ししたくなる、多くの武器種にとって恩恵の少ない、微妙きわまるシステムなのだが、大剣だけはちがう。なんと、このモードにおいては、溜め中に左スティック1本で自ハンターをカメラごと360度回転させることができるのである! これがなにを意味するかと言えば、ワールドから導入された大剣使いのリーサル・ウェポン「真・溜め斬り」の命中率が、発動後の縦回転中にも大きく軌道修正が効くこととあいまって飛躍的に向上し、30%ぐらいししかなかった敵弱点へのヒットが、体感で80%を超えるまでに上昇することとなったのだ。すなわち、とっくに眼前からターゲットが消えているのに、手淫でいきむかのごとく宙空へ精を放出したあのむなしい日々は、ついに過去のものとなったのである。新参者のチャージアックスやガンランスがダメージ効率をブイブイゆわせながら、「マジっすか、大剣っすか、パネェ(笑)」と揶揄してくるのを、「まあ、古参の懐古趣味だから……」とあいまいに微苦笑していた時代は終わり、ワイルズにおいて大剣はいっきに最強武器種の一角へとおどりでたのだった(新システムに強く依存した強化なので、次回作でまた大幅に弱体化することが見えているのは、悲しいが……)。

 また、登場するモンスターたちは全般的に、もうタイトルもよく思いだせない、けったくそわるい前作のモンスターハンターe-sports?における中年プレイヤーからのブーイングが作り手の猛省をうながしたのだろう、どれだけ派手な動きとエフェクトに見えても、プレイヤーの「攻撃ターン」と「防御ターン」がキチンと分けて用意されており、従来のモンハンのゲーム性へと回帰しているように感じられた。これはつまり反射神経だのみではなく、過去作の経験を生かせるということであり、下位クリアまでの死亡回数は、泥酔時に氷の巨大モンスター(名前失念)からカメラで轢き殺された1回のみだった。ただ、多くのファンからの高い期待を宿題としてしまった「なにがなんでも、本作をオープンワールドにする」という裏テーマは、必ずしも成功しているとは言えない。モンハンの楽しさのひとつに、「モンスターとの鬼ごっこ」があると思うが、本作のマップは広大かつ高低差に富んでおり、さらに移動できる地形が特定の法則に従って整備されているというよりは、作り手の恣意によって設定してあり、手動操作でモンスターを追いかけることは、ほぼ不可能になっている。おそらく、試行錯誤の末にたどりついた苦肉の策だろうと理解はするが、騎乗によるオート追尾をデフォルトの移動手段にせざるをえなくなったことで、「モンスターとの鬼ごっこ」と「オープンワールドの広がり」という2つのアドバンテージを消滅させる結果となってしまった(いまは上位クエストを進行中だが、「オープンワールドの探索”も”できる」ぐらいの、莫大な手間と時間ーーろぉぉくぅぅねぇぇんん!ーーをかけたにもかかわらず、付随的な要素にとどまっている)。本当は「採集でリソース管理しながら、痕跡を追いかけてモンスターを発見し、次々と狩りを続ける継戦の楽しさ」のような、シリーズを重ねるにつれて強まっていくアクション要素から、初代が指向したハンティングへと先祖がえりする、新たなゲーム性を模索するつもりだったのが、途中でディレクターが怖くなってしまい、いつものクエスト受注方式に戻したとしか思えないチグハグさが、ゲーム全体にどこかただよっている。制作途中で「オープンワールドの広大さと自由度の高さは、近年のモンハンのゲーム性と食いあわせが悪い」と気づかなかったはずはなく、すでに大勢のファンを持つシリーズものの続編へ、新味を加えることの難しさを物語っているとは言えるかもしれない。

 さて、ここからはトーンを変えて、ストーリー・パートについてふれていきましょう。今回のメインシナリオはオート移動を中心として、オープンワールドをなぜかベルトコンベアーな一本道で語る形式になっており、他プレイヤーと共闘する場面はほとんどありません。まるで、大型バスで行く観光地めぐりのような感じで様々なロケーションをめぐるのですが、自分の足で歩かないのでマップの印象はほとんど記憶に残らない。なのに、「(土地の固有名詞)の(知らない人物)と話せ」みたいなミッションが唐突に挿入され、言葉の通じない異国の地でツアーガイドが、「ここからは、各自でフリー・ショッピングをお楽しみくださぁい」と告げてから、こつぜんと姿を消すような恐怖をたびたび味わうハメになるのです。部族の村を熊のモンスターが襲撃するぐらいまでは、ていねいな世界観の提示があり、非常に好印象だったのですが、ストーリーを進めるにつれて、生態系などの説明もないまま障害物的に新規モンスターが投入される展開が続き、「これだけ作りこんでいるのに、出し方がもったいないなー」と思いました。イビルジョーになぞらえられたワールドの「(生理的に)ウケツケ”ナイ”ジョー」への反省からでしょう、本作では白メガネ学者娘と黒ギャル鍛冶屋にヒロインの要素を分割してきたことと、キャラクリ画面そのまんまの主人公が主体的にセリフをしゃべって物事を進めるのは、ベターになった要素としてみとめておきましょう(えらそう)。カプコンの真骨頂は、いずれのゲームでもアクション部分なので、文芸面に過度な期待をしてはいけないとわかっているのですが、「多様性」やら「モノ作り」やら「環境問題」やら、モンハン世界と水油の現代的な概念を、なんの変換もなしにチョクでつっこんでくる雑さには、思わず半笑いになりました。ストーリー展開としては、褐色の少年が白い竜を見て、唐突に感情的になりだすあたりから雲ゆきがあやしくなり、白メガネ学者娘がハンターの討伐した「護竜と書いて、ノー・ルビでガーディアン(笑)と読む」の死体を見て、「生殖器が退化してる」みたいなことを言いだしたときには、「ハァ? それって、ちんちんが小さいってことですかぁ?」と夜中に大きめの声でさけんでしまいました(階段をかけあがる荒々しい家人の足音)。

 エンディングは、生殖能力を持たない人造の生命が卵を生んだーー1頭でどうやって? 単為生殖ってこと?ーーことを「ちょっといい話」みたいにして終わるのですが、人工知能全盛の時代にクローン羊のドリーを彷彿とさせる生命倫理の話をいまさらやるのって、致命的に感覚が古くないですかねえ。「あの竜がそうしたように、ぼくたちも守り人の伝統から自由になっていい」というタワゴトも、どこかの同人誌にも書きましたけれど、地方の旧家から都会へ放逐された次男坊とその子どもたちぐらいまでをしか慰撫しないヨタ話で、いまや各地の伝統やら旧家の家督やらは人口減少で自壊しつつあり、人の生き方になんの拘束力も持たないどころか、むしろ若い世代にとって羨望して回帰することをのぞむ場所にさえ、なっていると思うんですよ。ワイルズのシナリオには、Qアンノが昭和の虚構に横溢していた「左翼的なるもの」や「全共闘的なるもの」をカッコいい概念として、自作の中で頻繁にとりあげるのと同じ手つきを感じましたねー(元の概念が、脱臭・脱色されているところまで同じ)。現代において、我々より下の世代が苦しんでいるのは、「家名もなく、束縛もなく、宗教もなく、信条もなく、目的もない」という”生きることの虚無”と”無重力に浮揚する魂”の問題だと思うので、アラフィフぐらいであろうこのライターは、平成初期の虚構から引用したテーマを手クセでまとめるのをそろそろ止めて、令和という時代について本気で思考を深めてほしいところです。え、「もはやモンハンとなんの関係ありませんね、それ」だと? バカモノ! この無軌道さが、(例の芸人のトーンで)ワイルズだろぉ?

 ゲーム「モンスターハンター・ワイルズ(HR100まで)」感想