猫を起こさないように
月: <span>2025年3月</span>
月: 2025年3月

アニメ「全修。」感想

 モンハンワイルズ、アルコールを入れながら、就寝前に1時間ぐらいプレイしてる。本作のハンターはあまりに強すぎるため、「どんな危機的な場面でも、アクビがでるようになった範馬刃牙」みたいな状態に陥っており、おかげさまでアニメの”ながら見”が、非常ないきおいで進捗するのであった。それにつけても、いつまでもいつまでも終わらぬ、異世界転生モノの隆盛であることよ。どの作品も「文明国家に住まう者が、一等地劣った土人に文化を啓蒙する」というフォーマットになっており、作り手は「豊かな社会における消費者である自分」を最上の価値に置き、なんら変わることも傷つくこともなく、おのれ以下の存在をただ描写すればいいのだから、これほど楽なことはあるまい。もっと言えば、異世界転生モノはいまや「衰退国家に住まう貧者を慰撫する、マイルドなパトリオティズム」として機能し、暴力革命をいっそう遠ざけている側面は、まちがいなくあるだろう。ドカチンの日銭で食らう冷えたコンビニ飯も、画面の中でエルフ女が頬を赤らめながら「おいしーい!」とほめてくれれば、相対的な優越感によってハッピーでいられるというカラクリだ。

 そんなわけで、ひどく厭世的な気分を引きずりつつ、「全修。」を最終話まで見終わったのであった。この作品、異世界転生をとりあつかってはいるものの、近年ではめずらしい原作なしの完全オリジナル脚本で、第1話の巨神兵パロディがエッキスでバズッていたのをご記憶の向きも多かろう。実のところ、その地点が本作のおもしろさのピークになっていて、以後は「巨匠による渾身の一作のはずが、なぜ興行的な大爆死へといたったか?」をメタ的にトレースするような展開のまま、ズルズルと終わっていった印象である。過去のスーパー・アニメーターたちの作画をパロディ的に再現し続けるのかと思いきや、メインストーリーをシリアスに語るほうへと次第に軸足は動いてゆくのだが、その内容からは膨大な過去作の最突端にいる自覚も技巧も、皮肉なことに感じられなかった。全体的にクリエイター礼賛の色あいも濃く、本来ならば私がもっとも嫌うたぐいのアニメであるはずだ。点数を聞かれれば、もちろん0点をつける。しかし、最終2話はずっと泣きながら見ていた。虚構内虚構である「滅びゆく物語」の、ありきたりな設定とおぼつかない語り口へ、ネット巨匠・小鳥猊下による、どこにもたどりつかなかったライトノベル「MMGF!」を重ねてしまったからである。

 2次元のキャラにいだいた幼少期の恋慕だけをよすがとして、現実での喜びをすべて手ばなしてアニメーション制作へと傾倒させてしまうほど、だれかの心へ”届いて”しまう強度をあらゆる作品が持ちうることに、「挫折した創作者」としての自我をなぐさめられる思いがしたのだろう。大手スタジオによる新進の育成を目的とした実験作だとのふれこみも見かけたが、「ハッピーエンドだけがエンタメと思うな」みたいな、のぼせあがった若造の若書きもふくめて、どんなつたない作品だろうと、いったん世に出てしまったならば、受けとめた者の人生を変革させる可能性があるというメッセージを、不出来な「全修。」は不出来ゆえに、意図せず放射しているのである。小鳥猊下のもとにも、いつか手汗と付箋でよれよれになった「MMGF!」を胸元に抱いた美少女監督がやってきて、頬を赤らめながらアニメ化のオファーをおずおずと申し出てくれることを妄想しつつ、このいじましい感想文を唐突に終わる(図らずも、「生きながら萌えゲーに葬られ」と同じエンディング)。

雑文「M. Wilds and J. AYASEGAWA」(近況報告2025.3.19)

 モンハンワイルズ、複数の武器種をわたり歩きながら、ハンターランクは140を越え、そろそろ起動するのが億劫になってきた。いったん始めてしまえば、軽快なアクションと適度な難易度(重要)で、2時間ほどを没頭して楽しくプレイできることはわかっているのだが、なかなかそこまでたどりつかない。ワールドの末期もちょうどこんな感じだったなと回想しつつ、今日も今日とて、「せっかくの休みだし、ワイルズやらないとな……」と頭の片隅で思いながら、一種の逃避行動としてーーよりイヤなものがあると、よりイヤでないものに耐えられるーー艦これイベント海域に着手してE2をクリアしたばかりか、そのかたわらでダイヤモンドの功罪7巻までの3度目の通読をはたしたのであった。そこから、さらに平井大橋熱が冷めやらず、ヤングジャンプのアプリをインストールして、最新78話までを読了した現時点での、本作に関する印象を述べておきたいと思う。

 以前の感想に「人物の書き分けやコマ割に目を引くところはないが、少女漫画の文法に沿った心理描写でグイグイ引きこまれる」みたいなことを書いたが、3度目の通読を終えて、ダイヤモンドの功罪はストーリー構成が”群抜き”であることに気づいた。唐突な時系列の跳躍から過去現在をジグザグにザッピングしたり、長々ロングスパンでだれもが忘れている伏線回収を行ったり、この作者は読者よりもはるかに高い位置から作品世界を鳥瞰していることがわかる。世界大会の決勝マウンドから優勝記者会見への場面転換もそうだし、ジュニア全国大会の開会式でかつての面々を再会させて、さんざん読者の期待を高めておきながら、翌週には1年後に綾瀬川が自宅でコンタクトレンズをはめるところへ時間を早送りするなど、たとえばかつてのファイブスター物語のように、作品世界の始まりから終わりまでの全年表が作者の頭の中に存在していて、そこからどの場面をだれの視点で語るかを取捨選択しているとしか思えない構成の仕方になっているのだ。

 さらに言えば、この作者はみずからの長年の妄想の結晶体であるダイヤモンドの功罪の世界をしか「描けないし、描かない」のだろうと推測する。新人賞を獲得した読切作品をふくめて、だれかに読ませたり理解されることを前提としない、しかし、作者にとっては唯一無二の重大な物語であるという意味で、ヘンリー・ダーガー的なものを強く感じるからである。デビュー作であるゴーストライトを読んでいなければ、綾瀬川の才能に対置される存在である大和くんの初登場シーンはかなり唐突で、この人物が作中で重要な役割を占めるようになるとは、まったくわからないだろう。綾瀬川次郎と園大和は、平井大橋にとってあまりに自明すぎる、運命に導かれたヴィヴィアン・ガールズであり、自分以外のだれかに「理解してもらう」ために、説明をくわえる必要性を感じなかったのではないかとさえ思う。「連載開始前から、すでに数千ページにおよぶ草稿やラフ原稿が作者の自宅の押入れに存在し、それをどの順番で再構成して清書するかにだけ、四苦八苦している」ような凄みと怖さを、ダイヤモンドの功罪という作品からは感じてならないのだ。

 もしかすると、その創作手法こそが、たびたび引きあいにだして申し訳ないが、メダリストーーアニメの出来には毎週ガッカリし続けているーーの行間をすべて埋めていく足し算的な作劇に対して、描かれていない部分にこそ重要な情報が存在する引き算的な作劇に見える理由なのかもしれない。少年野球をとりまく大人たちの思惑や感情も、ストーリーが進むにつれて生々しさーー綾瀬川を隠語で”A”呼ばわりするなどーーを増してきており、もしかすると作者の属性は「子育てを終えて、時間のできた主婦」ではないかと、ここに放言してみる次第である。そんなわけで、パブリッシャー諸氏は、そろそろエンプティ・ネストで無聊をかこつ小鳥猊下を発見していただいても、いっこうにかまわない(唐突かつ台無し)。

 あと、先週に公開したモンハンワイルズ記事のアクセス数が急増しており、どうもメチャクチャ読まれているようなのだが、グーグルやエッキスを検索しても出元は不明のままで、どこからだれが来ているのかサッパリわからない。「底抜けにオープンで、世界をひとつながりにしていたインターネット」はもはや背後に過ぎ去り、ここがさまざまの小さなセクト(ディスコード?)に細分化された、現実のカーボンコピーを格納するだけの場所になってしまったことを、古い人間としてはすこしさびしく思う。

質問:既にご存知かもしれませんが、「平井大橋」という橋が実在してて「綾瀬川」にかかってる、、のを知ったときは本当にこの作者はこの世界を・綾瀬川次郎を世に知らしめるだけに漫画家になったのかな、、と震えたことがありました。確かに物語の全てはもう出来上がってるのかもしれませんね。
回答:恥ずかしながら初耳だったので、話を聞いて背筋がゾッと寒くなりました。逆光で顔を黒く塗る演出も、昔の少女漫画で見たことがあるような気がするし、休載の頻度から考えて、いよいよ作者は「親の介護がはじまったアラカン主婦」である可能性が高まってきましたねー(妄言)。

ゲーム「モンスターハンター・ワイルズ(HR100まで)」感想

 ゲーム「モンスターハンター・ワイルズ(下位クリアまで)」感想

 モンスターハンター・ワイルズ、ハンターランク100を達成。やっぱさあ、このゲーム、ボリューム足りてないんじゃないの(暴言)? より正確に表現すれば、ボリュームはあるんだけど、その見せ方に工夫が存在せず、「ロスの大邸宅の100畳あるエントランスの片隅に置いたコタツへ4人で座って、ホールのショートケーキのイチゴだけを食べる」みたいな行為を強要されている感じと例えれば、伝わる人には伝わるかもしれません。天候の変化、季節の移り変わり、モンスターや小動物の生態、NPCの細かな挙動やかけあいなど、世界の隅々までていねいに作りこんであるのに、それに気づかせる動線が少しも存在せず、狩り以外の遊ばせ方は皆無なのです。装備にしたところで、1つの武器種と汎用の一式を作りさえすれば、ハンターランク100まで攻略にわずかの支障も生じず、下位もふくめて膨大な数を用意された防具群に、重ね着で使う以外の役割がほぼ与えられていません。もはや、「シリーズの伝統」とひらきなおっているのかもしれませんが、オープンワールドという新たな舞台で、歴代の死に要素をゲーム的に復活させるアイデアは、検討されなかったのでしょうか(ダルくはなるけど、ホットドリンク等に類する極限環境へ対応する性能を追加するとか)。ファイナルファンタジー16の感想にも似たようなことを書きましたけれど、「5年かけて冒険の舞台をじっくりと作成し、残りの1年でいつものアクションをそこにどうなじませるか試行錯誤した結果、最後の最後ですべての施策を断念した」に類する顛末があったように思えてならない仕上がりなのです。現在のところ、武器ガチャと鎧玉あつめーー重鎧玉の価格が5000ポイントで、歴戦個体の素材売却が1個90ポイントなの、気がくるってません?ーーがエンドコンテンツなのですが、多種多様なモンスターとまんべんなく戦うより、デカくて動きの派手なわりにとても弱い、歴戦アルシュベルドをたおし続けることが、そのための最適解になってしまっていることは、本作の大きな問題点と言えるでしょう。美味しんぼで例えるなら、キロ数十万円のマグロの大トロを串であぶったものに塩をふって食べたあと、残りをどうするのか聞いたら、「捨てます。最上の部位を味わったあとでは、つまらぬものです」と返答されたときの若旦那みたいな顔になります。幼稚園児が中学生に、中学生が大学生になるような長い時間をかけて、コロナに耐え戦争をむかえ世界の混乱を横目にしながら、毎日コツコツと制作してきた成果物をぜんぶ台無しにするこの最終調整にいったい満足しているのか、制作チームの構成員ひとりひとりに聞いてみたいぐらいです。

 ゲーム全体への愚痴はこのぐらいにして、アクション部分についても上位の感想を述べておきますと、愛武器ーー愛犬ぐらいの意ーーである大剣の新ギミックをひととおり試しましたが、相殺とジャスガはソロorシラフ専用として、ボタンひとつでくりだせる集中モード貫通斬りが、まー、アホみたいに強い。強溜め斬りと貫通斬りのループでモンスターの傷口はひらきっぱなしになり、まるでプロレスみたいにドッタンバッタンひるみまくって、延々とこちらの攻撃ターンが続いていくのです。ウィキの最強装備を鵜呑みにして、「攻めの守勢」をスキル構成に入れて、チンタラ鍔迫り合いなんかねらってる連中には、「おまえら大剣のこと、なーんもわかってねえな」と、ここに吐き捨てておきましょう。モンスターの大技を2度のタックルでいなし、真・溜め斬りで敵のふところにとびこんだら、あとは強溜め斬りとワンプッシュおてがる連撃であるところの貫通斬りを交互にくりかえせば、エターナルフォースなんとかで相手は死ぬ(溜め段階によるダメージ上昇分が、そのまま貫通斬りにも乗っているようで、なにやらバグくさい挙動ではあるのですが……)。近年のモンハンでは、マルチプレイでギスらないために、本来ならリザルト画面にあるべき「累積ダメージ最大」の称号がオミットされているのですが、ワイルズにおいては多くのクエストで大剣がそれを達成していることに、もはやなんの疑いもありません(真顔)。まあ、モンスターの体力と攻撃力メガ盛りのマスターランクが解放されれば、通用しなくなるだろう戦法なこともうっすらわかっており、「どうせいまやりこんでも、ぜんぶムダになるしな……」という冷めた気持ちが常に頭の片隅にあるのは、G級商法の功罪の最たるものだと、最後に指摘しておきましょう。あと、歴戦ゴア・マガラだけが、アラカン・ロートル・プロレスラーの群れにひとり混じった、きわめて殺意の高いハタチの総合格闘家になっていて、小鳥猊下はモンスターハンターe-sportsを、ぜったいにゆるしません。

ゲーム「モンスターハンター・ワイルズ(下位クリアまで)」感想

 モンスターハンター・ワイルズ、発売日から有給をとって週末ぶっとおしの70時間プレイでハンターランクを100にしておきながら、「ボリュームが少ない!」などとほざく他責思考の貪食イナゴを横目に、1日2時間の優雅な貴族プレイでたっぷり1週間ほどかけて下位をクリアして、いちおうのエンディングを見たところである(悪文)。以下のテキストを記述するのは、本シリーズを右スティックで攻撃していた無印の初代からずっとプレイし続けてきており、PS2版のドスーー「まあ、自然は厳しいってことで(笑)」ーーが最高傑作であると信じて疑わない、とりあえず大剣1本で全クリしてから他の武器種に食指を動かすぐらいの、ただの人間ーー北斗の拳での用法ーーである。まずはじめに指摘しておくと、人気アクションゲームのシリーズ続編がかかえる避けがたい宿命とは、「前作の完成度がどれほど高かろうとも、”必ず”新システムを導入しなければならないこと」だろう。ワイルズにおいては「集中モード」がそれにあたり、「機動力を犠牲に、部位破壊がしやすくなる」という、思わず制作側の心中をお察ししたくなる、多くの武器種にとって恩恵の少ない、微妙きわまるシステムなのだが、大剣だけはちがう。なんと、このモードにおいては、溜め中に左スティック1本で自ハンターをカメラごと360度回転させることができるのである! これがなにを意味するかと言えば、ワールドから導入された大剣使いのリーサル・ウェポン「真・溜め斬り」の命中率が、発動後の縦回転中にも大きく軌道修正が効くこととあいまって飛躍的に向上し、30%ぐらいししかなかった敵弱点へのヒットが、体感で80%を超えるまでに上昇することとなったのだ。すなわち、とっくに眼前からターゲットが消えているのに、手淫でいきむかのごとく宙空へ精を放出したあのむなしい日々は、ついに過去のものとなったのである。新参者のチャージアックスやガンランスがダメージ効率をブイブイゆわせながら、「マジっすか、大剣っすか、パネェ(笑)」と揶揄してくるのを、「まあ、古参の懐古趣味だから……」とあいまいに微苦笑していた時代は終わり、ワイルズにおいて大剣はいっきに最強武器種の一角へとおどりでたのだった(新システムに強く依存した強化なので、次回作でまた大幅に弱体化することが見えているのは、悲しいが……)。

 また、登場するモンスターたちは全般的に、もうタイトルもよく思いだせない、けったくそわるい前作のモンスターハンターe-sports?における中年プレイヤーからのブーイングが作り手の猛省をうながしたのだろう、どれだけ派手な動きとエフェクトに見えても、プレイヤーの「攻撃ターン」と「防御ターン」がキチンと分けて用意されており、従来のモンハンのゲーム性へと回帰しているように感じられた。これはつまり反射神経だのみではなく、過去作の経験を生かせるということであり、下位クリアまでの死亡回数は、泥酔時に氷の巨大モンスター(名前失念)からカメラで轢き殺された1回のみだった。ただ、多くのファンからの高い期待を宿題としてしまった「なにがなんでも、本作をオープンワールドにする」という裏テーマは、必ずしも成功しているとは言えない。モンハンの楽しさのひとつに、「モンスターとの鬼ごっこ」があると思うが、本作のマップは広大かつ高低差に富んでおり、さらに移動できる地形が特定の法則に従って整備されているというよりは、作り手の恣意によって設定してあり、手動操作でモンスターを追いかけることは、ほぼ不可能になっている。おそらく、試行錯誤の末にたどりついた苦肉の策だろうと理解はするが、騎乗によるオート追尾をデフォルトの移動手段にせざるをえなくなったことで、「モンスターとの鬼ごっこ」と「オープンワールドの広がり」という2つのアドバンテージを消滅させる結果となってしまった(いまは上位クエストを進行中だが、「オープンワールドの探索”も”できる」ぐらいの、莫大な手間と時間ーーろぉぉくぅぅねぇぇんん!ーーをかけたにもかかわらず、付随的な要素にとどまっている)。本当は「採集でリソース管理しながら、痕跡を追いかけてモンスターを発見し、次々と狩りを続ける継戦の楽しさ」のような、シリーズを重ねるにつれて強まっていくアクション要素から、初代が指向したハンティングへと先祖がえりする、新たなゲーム性を模索するつもりだったのが、途中でディレクターが怖くなってしまい、いつものクエスト受注方式に戻したとしか思えないチグハグさが、ゲーム全体にどこかただよっている。制作途中で「オープンワールドの広大さと自由度の高さは、近年のモンハンのゲーム性と食いあわせが悪い」と気づかなかったはずはなく、すでに大勢のファンを持つシリーズものの続編へ、新味を加えることの難しさを物語っているとは言えるかもしれない。

 さて、ここからはトーンを変えて、ストーリー・パートについてふれていきましょう。今回のメインシナリオはオート移動を中心として、オープンワールドをなぜかベルトコンベアーな一本道で語る形式になっており、他プレイヤーと共闘する場面はほとんどありません。まるで、大型バスで行く観光地めぐりのような感じで様々なロケーションをめぐるのですが、自分の足で歩かないのでマップの印象はほとんど記憶に残らない。なのに、「(土地の固有名詞)の(知らない人物)と話せ」みたいなミッションが唐突に挿入され、言葉の通じない異国の地でツアーガイドが、「ここからは、各自でフリー・ショッピングをお楽しみくださぁい」と告げてから、こつぜんと姿を消すような恐怖をたびたび味わうハメになるのです。部族の村を熊のモンスターが襲撃するぐらいまでは、ていねいな世界観の提示があり、非常に好印象だったのですが、ストーリーを進めるにつれて、生態系などの説明もないまま障害物的に新規モンスターが投入される展開が続き、「これだけ作りこんでいるのに、出し方がもったいないなー」と思いました。イビルジョーになぞらえられたワールドの「(生理的に)ウケツケ”ナイ”ジョー」への反省からでしょう、本作では白メガネ学者娘と黒ギャル鍛冶屋にヒロインの要素を分割してきたことと、キャラクリ画面そのまんまの主人公が主体的にセリフをしゃべって物事を進めるのは、ベターになった要素としてみとめておきましょう(えらそう)。カプコンの真骨頂は、いずれのゲームでもアクション部分なので、文芸面に過度な期待をしてはいけないとわかっているのですが、「多様性」やら「モノ作り」やら「環境問題」やら、モンハン世界と水油の現代的な概念を、なんの変換もなしにチョクでつっこんでくる雑さには、思わず半笑いになりました。ストーリー展開としては、褐色の少年が白い竜を見て、唐突に感情的になりだすあたりから雲ゆきがあやしくなり、白メガネ学者娘がハンターの討伐した「護竜と書いて、ノー・ルビでガーディアン(笑)と読む」の死体を見て、「生殖器が退化してる」みたいなことを言いだしたときには、「ハァ? それって、ちんちんが小さいってことですかぁ?」と夜中に大きめの声でさけんでしまいました(階段をかけあがる荒々しい家人の足音)。

 エンディングは、生殖能力を持たない人造の生命が卵を生んだーー1頭でどうやって? 単為生殖ってこと?ーーことを「ちょっといい話」みたいにして終わるのですが、人工知能全盛の時代にクローン羊のドリーを彷彿とさせる生命倫理の話をいまさらやるのって、致命的に感覚が古くないですかねえ。「あの竜がそうしたように、ぼくたちも守り人の伝統から自由になっていい」というタワゴトも、どこかの同人誌にも書きましたけれど、地方の旧家から都会へ放逐された次男坊とその子どもたちぐらいまでをしか慰撫しないヨタ話で、いまや各地の伝統やら旧家の家督やらは人口減少で自壊しつつあり、人の生き方になんの拘束力も持たないどころか、むしろ若い世代にとって羨望して回帰することをのぞむ場所にさえ、なっていると思うんですよ。ワイルズのシナリオには、Qアンノが昭和の虚構に横溢していた「左翼的なるもの」や「全共闘的なるもの」をカッコいい概念として、自作の中で頻繁にとりあげるのと同じ手つきを感じましたねー(元の概念が、脱臭・脱色されているところまで同じ)。現代において、我々より下の世代が苦しんでいるのは、「家名もなく、束縛もなく、宗教もなく、信条もなく、目的もない」という”生きることの虚無”と”無重力に浮揚する魂”の問題だと思うので、アラフィフぐらいであろうこのライターは、平成初期の虚構から引用したテーマを手クセでまとめるのをそろそろ止めて、令和という時代について本気で思考を深めてほしいところです。え、「もはやモンハンとなんの関係ありませんね、それ」だと? バカモノ! この無軌道さが、(例の芸人のトーンで)ワイルズだろぉ?

 ゲーム「モンスターハンター・ワイルズ(HR100まで)」感想

アニメ「機動戦士Zガンダム」感想

 ジークアックスによるファースト・ガンダム特需を横目に、機動戦士Zガンダムを人生ではじめて通しで見る。まず結論から言えば、わたくし個人のかかえる「ガンダムが苦手で、単位が出ない」理由を、極限にまで煮つめたような作品でした。この唐突な奇行の裏事情ですが、週2くらいでチマチマ進めているドラクエ10オフラインにおける最強アクセサリであるところの、「再行動10.5%・アクセルギア」をパーティの人数分用意するため、キラーマジンガと56回ほど戦わなくてはならなくなったからです。ながら見で視聴すると、セリフとセリフのかけあいがまったくつながって聞こえない瞬間がかなりあり、最初のうちは一時停止からまきもどして聞きなおしたりしていたのですが、早々に「ガンダムって、そういうもの」とあきらめました。正直なところ、序盤の展開はひどく退屈で、ドラクエ10オフラインがなければ、アムロが登場するまでに視聴を脱落していたにちがいありません。シャアが「昔の名前で出ている」ことはうっすら知っていましたが、7年後?のホワイトベースの面々がガッツリと描写され、本作が「初代の正統なる続編」だったのには、新鮮な驚きがありました。無印がア・バオア・クーを旅の終着と見たてた縦方向の「ゆきて帰りし物語」とするなら、ゼータは「ガンダム世界の設定の、横方向への拡張」をかなり意識的にやっているイメージで、35年越しでようやくみなさんに理解が追いついたというわけです(幼いハサウェイが出てきたのには、のけぞりました)。恥ずかしながら、本作を見るまではガンダム世界について、宇宙戦艦ヤマトやスタートレックのような、銀河規模の話ーー「木星帰り」とか言ってるしーーなのだと、カンちがいをしておりました。光年単位のワープ航法が存在せず、あくまで地球と月軌道の範囲で起こる戦争だからこそ、資源の枯渇や大地の汚染がテーマの中心になるのだと、ようやく気づかされた次第です。

 しかし、「トミノ節」というのでしょうか、登場人物の心理描写は前作からいっそう独特さを増しており、大人たちは喜怒哀楽でいうところの「怒り」と「哀しみ」をしか発露しない。この世界で「喜び」と「楽しさ」を表現することをゆるされているのは、子どもたちだけなのです。もうひとつのポイントは「不機嫌」で、登場する大人たちの全員が胸中に「不機嫌になるトリガー」を持っているようなのですが、その正体がなんなのか、外野から見ているぶんにはサッパリわかりません。おまけに、令和の視点ではギョッとするほど頻繁かつ安易に、男女の別なくグーかパーで他人の顔をはりたおしーー修正? 修正って?--まくります。「キャラクター全員が、太平洋戦争帰りのPTSDを心中にかかえている」というのがもっとも合理的な説明のような気がしますが、やっかいなファンを多くかかえる、この歴史ある巨大シリーズ相手に、めったなことは申しますまい(言ってる)。ただ、登場するすべての女性キャラが男性の妄想をコピーした人形ではなく、少々のエキセントリックさはあるものの、それぞれ確固たる人格を与えられ、近年に顕著な「男性性を我がモノとして取りこんだ、頭文字エフ」とは大きく異なった”女性”として、所与の状況に向けて自らの意志をもって行動する様子は、不思議な感動を呼びおこしました。戦中戦後に幼少期を過ごされた禿頭の御大は、社会に充満していた無意識の抑圧から、決してお認めにはならないでしょうが、潜在的にかなりバイの要素をお持ちである気がします(「この哀れな魂が神のみもとに」というナレーションや、パプテマスという固有名詞には、キリスト教の洗礼を感じる)。また、「ここは託児所じゃないんだぞ」などのセリフから、ガンダムから旧エヴァが受けている影響もうっすら見えてきて、放送当時は唐突に思えた「男の戦い」というサブタイトルも、ガンダム世界の定義による”男”ーーくやしいけど、ぼくは男なんだなーーを意味していたのだと、ようやく腑に落ちました。

 全体的に雰囲気で聞いているセリフの中で、もっとも深く心に刺さったのは、ハヤト・コバヤシーーあの優しい少年が、ゲイルックの小太り暴力上官になっていたのは、本当にショックでしたーーがクワトロ大尉に伝えた、「あなたほどの人物が、現場で一兵卒をやっているべきではない。時間をかけても、組織のトップにまでのぼりつめてほしい」みたいな諫言でした。年齢と地位の上昇へ行動の変化を伴わせることは、じつのところ、かなり意識的にやらないとできないものです。「マネジメント層になったのに、言動はいつまでもどこまでも一兵卒」という態度は、典型的な”昭和の組織あるある”で、あさま山荘的な総括を恐れるあまり、組織の存続へ向けたオーダーではなく、かつての同僚に対する”おもねり”を優先してしまう、曲がった心性に由来しています。年齢を重ねて、以前と同じパフォーマンスを発揮できなくなったスポーツ選手が40歳、下手をすると50歳をむかえても現役を続行しようとする姿勢を、本邦のメディアはときに美徳のように語りますが、私はこれを明確に「逃げ」であり「醜い」と感じます。「体制に組みせず、管理側に就かず、生涯を一兵卒で終える」のは、身内による粛清をただただ恐れる、全共闘的な病理の保存に他ならないからです。ともあれ、Zガンダムの講義をすべて聴講ーー履修とは言わないーーしたいま、この観点から人生4度目の「逆襲のシャア」に挑戦してみるつもりでおります。