猫を起こさないように
年: <span>1999年</span>
年: 1999年

ドラ江さん

 「ドラ江さ~ん、助けてよ~」
 「なんや、騒がしいの。いまワシは、久遠の絆のプレイに大忙しなんや」
 「助けてよ、ドラ江さん! イデオロギーが崩壊してどの価値観も間違いじゃないんだ。いったい何を信じたらいいのかわからないんだ。曖昧な現実が不安なんだ。もしかしたら、みんなぼくより優れているかもしれないんだ。いつものように決めうってよ。言葉で現実を虚構化して、ぼくを安心させてよ!」
 「おまえまたそんなこと言うとるんかいな。繊細さをウリにする時代はもう終わったという話やで。これから求められるのはスーパーマッチョや。新井英樹の漫画みたく生きてみんかい。まァ、ええわ。ほな、いくで。一回しか言わへんから、よぉ聞けや。『ああっ女神さま』『守って!守護月天』 この二つを読んでるヤツは、まさに人間のクズや。間違いなくおまえより立場が低い。こりゃもう、無条件で見下してええ。恋緒みなとの漫画に共感するヤツも同様や。さ、どや。これで少しは楽になったやろ」
 「ありがとう、ドラ江さん! 気持ちが楽になったよ! 他人と自分の位置が明確に把握できるようになったよ! さあ、さっそく本屋に行って確かめようよ!」
 「待て待て、ワシもかいな。ワシは忙しいって言って、ちょぉ待てや」
 「いたよ、いた、ドラ江さん! 守護月天を全巻まとめ買いしてるよ! あっちではアフタヌーンを立ち読みしている……ビンゴォ、女神さまだ! クズだよ、ここはクズどもの見本市だ! 低脳どもめ、白痴どもめ、けけっ、けけけけけっ」
 「よかったの」
 「お客様、たいへん申し訳在りませんが、店内での喫煙は禁じられておりますので」
 「ああ、こりゃすまんこって」
 「ねえ、ドラ江さん」
 「なんや。もう気がすんだか。帰ろや」
 「ラブひな読んでるヤツがいたんだけど」
 「いちいち確認しに来な。クズや」
 「よかった、やっぱりそうなんだ。あっ、見てよ! 恋緒みなとの単行本を購入しているよ! この世はやっぱりどうしようもないクズばっかりなんだね! 低脳どもめ、白痴どもめ。けけっ、けけけけけっ」
 「――でもな、のび太。一番どうしようもないのはたぶんおまえ自身なんやで――」
 「あいつ、あれでうっかりインターネット始めたり、ホームページ作ったりするんだぜ。いったいその薄ら笑顔で何を期待してんだろうね、現実でうまくいかないヤツは、ネットでだって受け入れられるわけないじゃんよ。場所を変えりゃいいと思ってんだ。自分を客体化できないところに原因があるって、少しも理解できてないんだぜ。けけっ、けけけけけっ」

世界はぼくらの手の外に

  『ああっ。やめてえや。うちそんなんとちゃう…うち、そんな女とちゃう…ああ…やめて…うち、うち…ほんまは、あんたの…欲し…ねん…』という具合に目的語を曖昧にすることで、全国六千万の婦女の中に存在する動物的エロスをいたずらにかきたててみる小鳥さんですよ、わんばんこ。という具合にすでに使い古されたコトバをさりげなく日記に含ませることで、全国六千万の婦女の子宮に至急に郷愁にも似た哀切な恋愛感情をいたずらにかきたててみる小鳥さんでも同時にあるんですよ、みゃぁお。『いやぁん、猫。かわいぃぃ』という具合に動物と子供を出しておけば視聴率はとれるんですよ的に人間存在を軽視してはすにかまえて世の中を見ることで生きることを楽にしている、本当はとても寂しい、本当は現実がその自分の浅薄な人間理解を裏切ってくれることを初心な乙女の純情さでもって期待している、しかしいつだってその浅薄さを裏切らない公式どうりの反応が確実に返ってくるだけ、日常に世界への憎悪と絶望をしんしんとつのらせていくテレビ関係者のように、動物の鳴き声を日記に織り込むことで全国六千万の婦女の中に潜む獣的な自己再生産欲求をかきたてて、『どうです、お嬢さんいっしょに夜明けのコーヒーでも』と小鳥さんですよ。
 結局誰も、本当の意味では、ぼくに気がつかなかったのだろう。

ドラ江さん

 「ドラ江さ~ん、助けてよ~」
 「なんや、どないしたんや」
 「世界との関係性を失って自己の立脚点を相対化できないんだ。どこへも確定しないように思える曖昧な日々の現実が不安なんだ。ぼくを楽にしてよ、ドラ江さん! いつものように決めうって生きることを楽にしてよ!」
 「なんや、またかいな。まァ、しゃあないの。そのためにワシはここにおるんやからな」
 「ドラ江さん! やっぱりドラ江さんはぼくのたったひとりの重要な存在だよ!」
 「昔っからおまえそればっかりやんけ。ホンマにそう思っとるんかいな。ええわ、ええわ。ほな、いくで。一回しか言わへんからよぉ聞けや。まず文章の語尾に(爆)(笑)(逝)(泣)や顔文字をつけるやつは、根本的に日本語力の欠如したアホや。(苦笑)と来るやつ、もうこれは白痴や。無条件で見下してええ。こいつらは、間違いなくおまえ以下や」
 「ああ、ありがとう、ドラ江さん! これでネットでの生活が楽になったよ! 優か劣かの安易な二元論により、現実への対処のやり方がはるかに簡略化されたよ! ぼくの苦悩が和らいでいくよ!」
 「さよか。役に立てて嬉しいわ。なんや、早速パソ通かいな」
 「けけけっ、こいつ(苦笑)って書いてるよ。どうしようもない低脳め。こっちは(微笑)だってさ。女性週刊誌かって~の。ちんこ噛んで死ね」
 「――でもな、のび太。一番どうしようもないのはたぶんおまえ自身なんやで――」
 「『うわぁ、びっくりした(^^;』だってさ。文章書く時点で冷静になるってえの。わざとらしく驚いた演技しやがって、この大根役者め、大学生の素人アングラ演劇め、水呑み百姓め。電線のない田舎にでも引きこもって、しこしこ畑耕してろってんだ。けけ、けけけけけっ」

降臨

 小鳥さんは言いました。「今日という日付をもって世界は私という存在の持つ妄想とエロティシズムによって虚構化されます」
 どんな夢見る少年もどんな理想を抱いた革命家もみんな最後には現実にたどりつきます。ここから先はありません。ここが世界の最果てです。ピーターパンはラッシュアワーの電車に揺られながら眉をしかめ、『このオッサン口臭たまらんな。うしろの高校生はアホみたく騒ぐし、ガキは泣くし。どいつもこいつもクズばっかりや。少なくともこの車両の中では俺が一番上等な、価値のある人間やな』と、口の端をゆがめながらくたびれたスーツ姿で根拠の無い優越に満たされ、ウェンディは自分の三歳になる息子が泣きわめき、必死で彼女の袖をひっぱるのに気づこうともしないまま手の中のワンカップをすすり、「このままでいいのかしら。わたしはもっとちがう何者かであるべきよ。少なくともこんなのはちがう」と苦悩を眉間に浮かばせて幾度も幾度もつぶやいて、陽が落ちて息子がぐったりと動かなくなり、夜風が身を切る冷たさで周囲を切り裂いても、公園のベンチから一歩も動こうとしません。そうして敗北感に満ちたホモセクシャルで無職の私はと言えば、徹夜明けの便器に腰掛け大便をひりだす朝の作業の中で、ヨイトマケを連呼しつつ襲いくる熊のような大男に背後より青痣の浮くくらい抱きすくめられ、その発酵した体臭をすぐそばに感じるという甘い夢想をふくらませつつ、中学時代の卒業アルバムの集合写真の右上の中空に一人いるような人間に特有の不気味な半眼と半笑いで、墜ちていく退廃に羞恥と快楽のうめきをあげ、官能に身を震わせながら失禁するところをついうっかり家人に発見されてしまい、
 「お、おかん。これは違うんや」
 「何を違うことがあるんや。あんたのせいで私は田舎にも帰られへん。友だちにも会えへん。『おたくの息子さんどうしてはります、今年大学卒業でしたやろ』って聞かれたときの私の消え入りそうな恥ずかしさとくちおしさがおまえにわかるんか。『はぁ、無職です、昼間ずっと寝てます、夜中はパソコンいじりながらときどき便所で失禁してますわ』言えいうんか。おまえのようなんはおらんほうがマシや。死んでもうた言うほうがまだかっこがつくわ。死ね、死ね、おまえなんぞ死んでしまえ。今すぐ死んでしまえ。ああ、ああ」
 「おかん、泣かんとってえや。まじめになるから。就職もするから。おかん、ほんま泣かんとってえや」
 「もうええんや。死ね。今すぐ死んでください。それが私の望みです、それが孝行いうものです。なんで死んでくれへんのや。なんで朝起きたらいつもおまえがおるんや。おまえがやるこというたら、うちらが必死で働いた金を便所でうんこにしとるだけやないか。うあぁぁぁぁ死んでくれぇぇぇぇ」
 と、現代の家族ではまれな心の底からの包み隠しない会話をほがらかにかわすこともまったくしばしばです。
 この割に合わない人生の埋め合わせをするために、私は私を取り巻くくすんだ現実世界を、日記によって虚構化することをここへ高らかに宣言します。誰にも見返られない、誰にとっても重要でない私の実存は虚構によりたちまちのうちに、
 「小鳥くん、君はバーボンが好きだったね」
 「ええ」
 「これがなんだかわかるかい」
 「とうもろこしです」
 「バーボンの原料さ。君のアヌスにぴったりフィットすると思って持ってきたんだ」
 「ああ、何をするんです、部長。ああ、ああ」
 「いつもの凛々しい君はいったいどこへ行ったんだ。快楽をむさぼるだらしなくゆがんだその顔」
 「ああ、部長」
 「ふふ、君の唾液はバーボンの味がするよ」
 「ああ、それ以上は堪忍、堪忍どすえ、姫奴どすえぇぇ」
 と、果てる京都出身のヤングエグゼクティブへと昇華され、革命されます。私は惨めな現実を変えてくれるかもしれない美しい虚構の気高い存在をただ信じるのです。嘘です。人間の脳髄から言語を介して発信された時点で、それはすでにつくりごとだということを忘れてはいけません。現実とは、瞬間瞬間改変不可能になってゆく過去の蓄積に過ぎないのです。
 現実は結局、変わらなかった。