猫を起こさないように
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雑文「少女漫画について」

質問:小鳥猊下は少女漫画に詳しいように思います。ぜひ語っているところを見たいものです

回答:栗本薫の薫陶ーー薫の薫(笑)ーーを受けて、ヤオイ小説と少女漫画を読みはじめた人物であり、いずれもが純粋に少女をターゲットにしていた時代に、強い郷愁を抱いております。思いつくままに作家名をならべてゆきますと、竹宮恵子、萩尾望都、吉田秋生、清水玲子、日渡早紀、成田美名子、川原泉、明智抄あたりの作品を愛読してきたぐらいの、きわめてライトなジャンル・フォロワーにすぎません。いにしえの感覚から「赤白青の帯が表紙にあるものは、すべて少女漫画」ぐらいでいましたが、令和の御世において少女漫画なるカテゴリはBLとマージして、ほぼ消滅してしまっているように思います。栗本薫が一瞬だけ復活させた小説道場・ご隠居編において、幾度も「ハーレクインあまあまらぶらぶセックス」なる言葉で揶揄されていたように、欠損家庭に由来する思春期の少女の自己不全感を、繁殖の不可能性から社会に拒絶される「男と男の性愛」に仮託した、切実な魂の救済だった物語類型が消滅した結果、BLと少女漫画のあいだに明確に存在していた隔壁が無くなり、「男と女」に置換しても特段に支障の無いドぎつい性欲ベースの作品群が、すべての年齢層をひとからげにした「女性向け」として、いまや市場の主流となってしまっています(かろうじてそうでないものも、少年漫画の設定やストーリーを少女にすげかえただけにしか見えません)。本来なら、「推しの子」や「メダリスト」は白泉社レーベルで発掘されて、少女漫画として売りだされるべき作品だったと思っていますが、一般誌からの発表となってしまったのは、ジャンルそのものの衰退が原因であると指摘できるかもしれません。いまや、かつて少女漫画だったものは、思春期の少女の精神をセラピーするものではなく、きつい言い方をすれば、大人の女性とその予備軍の肉体をオナニーするポルノへと堕しているのです。ジャンルの器が壊れて、内容物が垂れ流れている現在、試みに小鳥猊下が再定義を行うとするならば、「少女漫画とは、作者の性欲が女性に向いていない作品である」とでもなるでしょうか。「パタリロ」から「メダリスト」までを包含する美しい公式のように思えるのですが、識者のみなさんによる実地の検証を待つことにしましょう(余談ながら、エロ漫画に出自を持つ人物の一般誌に掲載された漫画を家人にすすめたら、驚くほど猛烈な忌避感を示されたことがあり、「言語化不能の見えざる性欲」に対して、男性諸氏はもっと意識的になるべきかと愚考します。特に、ヨネヅ君ね!)。ともあれ、少女漫画の過ぎ去った全盛期へ哀悼を示すため、いまこそ「カリフォルニア物語」「風と木の詩」「ポーの一族」「サイファ」「月の子」「笑う大天使」「サンプル・キティ」などの過去の名作に我々は回帰して、市場に氾濫する女性向けポルノ群へ背をむけ、ただただ郷愁を読みふけりましょう。

雑文「やおい女子とニクラウス(近況報告2022.5.21)」

 小鳥猊下がテキストを公開するときの心象キャラ(なんや、それ)のひとりに、「あした天気になあれ」のラスボスがいます。だれもが名を知る大傑作なのに「あしたのジョー」ほどは最後まで読み通した方は案外、少ないんじゃないでしょうか。最終戦の対戦相手であるジョン・ニクラウスとの延々と続くプレーオフは、「そろそろ終わらせなきゃいけないんだけど、もっとこの世界でこのキャラたちと遊んでいたいな……」という作者の気持ちがじんわりと伝わってきて、なんとも言えない温かい読み味だったのを思い出します。帝王の異名を持つこの人物、プレーが進むにつれて闘争心が剥きだしとなり、「ドウダァーッ!!」とか「カカッテキナサーイ!!」などと、向太陽をアオりまくるのですが、私がツイートしたり記事を上げたりするときの気持ちがまさにそれです。しかし、ほとんどの場合、観客席から「帝王V! 帝王V!」とは返ってこず、熱の無い拍手がまばらに響くばかりで、心の帝王は「ソッカー、アカンカッタカー」とトタン屋根のバラックにもどり、欠けた茶碗に一升瓶から注いだどぶろくをグイとやって、そのまま気絶するように眠ってしまうのが常なのです。

 んで、何が言いたいかといえば、小鳥猊下のテキストはやおい女子と相性がいいのではないかということです(唐突な飛躍)。先日、私のnote記事を「スゴく良い感想文だった。」と引用したツイートを発見し、ひさしぶりに心の帝王が「ア、ヤッパリソウナノ?」とスゴく喜んで、当該記事を連続で5回ほど読み返したぐらいでした。私の文章が中期・栗本薫から甚大な影響を受けたがゆえに、魔的でエロティックなことは以前お話しましたが、語るべき物語が存在しないこと、そして何より、中期・栗本薫のやおい小説が、強烈な原型として心に焼きついてしまっていることで、次第に書けなくなったのも事実なのです。さらに告白すれば、まったく小説というものが読めなくなりました。中期・栗本薫のやおい作品に比べれば、現行するあらゆる小説は「あまりにも下手クソすぎる」からです。

 だいぶそれた話を元へ戻せば、やおい小説の創生神に薫陶を受けた小鳥猊下のテキストは、その下流であるビー・エル含めて、やおい女子たち心の琴線をかきならすにちがいなく、この新たな客層にアピールできれば、nWo過去作の再発見からの捲土重来も夢ではないのではないかという野望を抱いた次第です。やおい女子たちはどんどん小鳥猊下をフォローし、積極的にその発言をリツイートしよう! あと、遺伝的類似を伴った存在を2つほど世間に放流し、そろそろ自分のことを新たに始める季節にさしかかったと感じつつも、やっちゃうよねー、ディアブロ2R(パッチ2.4で急浮上した召喚ドルイドーーめっちゃ弱いーーを育成しながら)。