猫を起こさないように
崩壊スターレイル
崩壊スターレイル

ゲーム「ドラクエ7リイマジンド感想(クリア後)

 ゲーム「ドラクエ7リイマジンド」感想(クリア前)

 ドラクエ7リイマジンド、結局あれから本編をクリアして、プラチナトロフィーの一歩手前、DLCの三魔王をたおすところまでプレイしました。この転機がおとずれた経緯を説明しますと、かしこいAIがどんな局面だろうと打開してボスをたおしてしまうため、次第に魔王軍のほうへ感情移入するようになり、「たのむ、だれか勇者パーティを殺してくれ!」と追いつめられた敵幹部みたいな思考になっていったのです。その願いもむなしく、すべてのボスは勇者たちのまえに散華し、ほとんど絶望しながら2回目のオルゴ・デミーラにいどんだところ、なんと第4形態のマダンテ2発で勇者パーティはゲーム全編を通じて、初の全滅をとげたのでした! これには思わず椅子から立ちあがり、夜中にもかかわらず「やったー!」と心からの絶叫がほとばしったほどです(駆けてくる家人の足音)。そこからは、「くっそー、魔王めー」とようやく勇者としての主体を回復し、とりこぼしたアイテムをあつめ、装備や職業のシナジーを吟味し、ようやく手動の戦闘でレベリングを行いました。30時間が経過するまで気づいていなかったのですが、今回の転職システムは6以降の累積型ではなく、メインとサブにつけたジョブの魔法と特技のみアンロックされるFF11方式だとわかり、かなり印象は好転したことをお伝えしておきます。そうしてラスボスをたおし、異世界で神さまをたおし、さらなる異世界で神さまと4精霊をたおすまでの10時間弱は、過去のドラクエ体験の中でも、最高の記憶のひとつとなりました。特に、神さまと4精霊のバトルは極限の死闘で、4精霊をしりぞけ、神さまひとりを赤ネームまで追いつめた段階でMPはほぼ枯渇し、イオグランデとマヒャデドスの連発で生き残っているのは、これまた赤ネームのガボのみとなり、ザオリクでたてなおすか攻撃するかをゆうに5分ほどは悩み、ええい、ままよとくりだした”ばくれつけん”がすべて一桁台のカスダメだったにもかかわらず、神さまのHPを削りきった瞬間、夜中にもかかわらず「やったー!」と心からの絶叫がほとばしったほどです(再び、駆けてくる家人の足音)。ちなみに、そこから挑戦したDLCの三魔王は、”かみさまの心”を悪用した「ルカニ、バイキルト、マッスルダンス、ぶんしん、ばくれつけん」でいずれも瞬殺でしたので、特に感慨をいだくいとまはございませんでした。

 そして、新規層の流入を企図すべく、ここまでをマラカス両手のユルいラテン系なノリでバランス調整してきたくせに、プラチナトロフィーを目前にして、ちいさなメダルとラッキーパネルが黒縁メガネをかけた神経症の青白い日本人ーー名前は雨宮賢ーーとして立ちはだかってきたのです。「過去と未来の双方にちりばめられた100枚のメダルを、1枚の取りこぼしもなく集める」というタスクは、宝箱をいくつかとりのがしても探索率100%を達成できる原神を経験したあとでは、パワハラまがいの異常な作業としか思えません。他人のチェックリストと首っぴきでメダルのとりのがしをつぶしていくのですが、フラグ管理の都合から過去世界へのルーラがきかず、いちいち石板まで走らされるのは心底ゲンナリで、最悪の仕様だと感じました。そして、最後の最後で番町皿屋敷ばりに「いちまぁい、足りなぁい」となったときには、夜中にもかかわらず心からの絶叫ががほとばしったほどです(三たび、駆けてくる家人の足音)。また、昨今の事件からコンプラ的にまずいと思ったのでしょう、カジノがまるまる削除されており、代わりに入れられたラッキーパネルなる遊戯が、これまた最悪に輪をかけたミニゲームになっているのでした。簡単に説明すれば、「シャッフルありの神経衰弱」なのですが、最高難度の24枚なんて初見の数秒で記憶できるわけありません。まあ、「できる」と強く信じている全人類の上位数%に位置する知能の持ち主がこれを考案した可能性は否定できませんが、本邦のゲーム制作者たちは半島や中華のゲームがなぜいま、これだけ広範な地域と人種に受け入れられているかを、いまいちど真剣に分析して学ぶべきでしょうね。崩壊スターレイルのミニゲームは「知育玩具」などと揶揄されますが、ここから全世界のゲームプレイヤーの平均知能が、本邦のそれよりもずっと低い位置にあることを読みとらなくてはなりません。それにくらべて、ラッキーパネルの知的負荷はあまりに強すぎ、「もっとアホにむかって作れよ! 本編の戦闘バランスは、まちがいなくバカ専用(笑)なんだから、できるだろ!」という気持ちにさせられます。結局、ケイタイで撮影した動画を見ながらカードをめくるハメになるわけですが、クリアできたとして入手できるレアアイテムはランダムになっていて、コンプリートまでに必要な試行回数を想像するだけでイヤ気がさして、早々に断念しました。

 「メダル100枚」と「全アイテム入手」のトロフィー”以外”を獲得したところで、7リイマジンドの冒険はこれにて終了とさせていただきます。いまの胸中をたとえ話でお伝えさせいただくと、「シャトーブリアンをジュウジュウにウェルダンで焼いたあと、ローストビーフみたいに薄切りにしたものへ、ケチャップとマスタードをドバドバにかけて完食した」ような気分で、そのステーキハウスからの帰路、友人たちと爪楊枝でシーハーゆわせながら、「まずくはなかったけど、2度と行かねーかな」と野卑に笑いあっている感じと表現できるでしょう。全体的に、例の「マル、三角、四角、長方形、平行四辺形などにくり抜かれたフタの穴へ、形のあう積み木を入れさせることを意図した知育玩具なのに、マルの直径が大きすぎるため、すべての積み木をマルから入れられてしまうのをなげく、オモチャ製作者の動画」みたいなゲームでした。おわり。

ゲーム「崩壊スターレイル・月満ちる時に神はなし」感想

 崩壊スターレイルのバージョン4.0「月満ちる時に神はなし」を実装部分までクリア。今回の舞台について簡単にまとめると、「1999年の日本を下敷きとした二次元パラダイス」であり、江戸星などの既出ワードから原神における稲妻のような世界を予想していたので、かなり意表をつかれました。おそらく、昨今の二国間の情勢に影響されたのでしょう、「無国籍なアジア地域の繁華街」と強弁できなくもない街並みになっているのには、ある種の配慮を感じます。余談ながら、原神に右のボール、スターレイルに左のボール、エンドフィールドに中央のスティックをつかまれている身にとって、希少土などよりもよほど供給を止められてはこまる産業ですので、いちオタクとして早期の関係回復を切にいのるものです。当局に目をつけられるかどうかのラインで”反体制”をしのばせてくるライティングは健在で、突如として「世界が滅びようってときに、お上にいったいなにができるっていうの?」みたいな中共へのビーンボールが顔面スレスレにとんできたりして、喝采より先に心配がきました。鴨川をモジった”鳩川”なる地名がサラリと提示されることからも、この街を前世紀末の京都に見立てていることは確定的にあきらかで、もしかすると制作サイドに本邦への留学経験のある「学生さん」か「同やん」がいるのかもしれません(「立ちゃん」は、鴨川に思い入れなんてないでしょう)。以前にもお伝えしたように、学生時代は四条河原町あたりでのたくる日々を送っており、ゲーム内の光景に「川をはさんだ街並み」以外の共通点はないはずなのに、どこかなつかしさをくすぐられるのは、じつに不思議な感覚でした。「オンパロスという一大叙事詩のあとに、なにを持ってこられても、格落ちにしかならんよなー」とヘラヘラ笑っていたところへ、「おのれの過去の情動とヒモづいた、他国から見る特定地域の魅力」みたいなものを正面からぶつけられて、すこし動揺してしまったのは否定できません。

 さらに、マップ移動には土管を起点とする、スーパーマリオをオマージュした、横スクロールの8ビット・ワールドが用意されていて、ブラウン管につながれたファミコンの前にすわる小学生の自分が、エロゲー全盛期にむかえる大学生活を先どりして体験しているような、じつに倒錯した気持ちになりました。また、大好きなキャラ造詣でありながら、ピノコニーでは悪役としてイマイチ不完全燃焼だった花火たんに、あらためてスポットライトが当たったのもうれしく、彼女とウリふたつのライバーである火花たんとの実存をめぐるやりとりは、いちテキストサイト運営者として感じいるものがありました。特に、「1万人の仮面を演じることのできる役者は、はたして最初の人格をおぼえていられるか?」という問いかけは、1999年1月10日にインターネットへ投下されたnWo最初の記事を読みかえすとき、「これを書いたのは、いったいどんなヤツなんだ?」と首をかしげる人物にむけた虚構耽溺者の掘りさげとしては、”かいしんいちげき“クラスの中身だったと言えましょう。そのあとにつづく、「ベッドの上で金縛りに身動きがとれず、人格排泄ボタンを押さないよう懇願する少女」の有り様には、「爬虫類の表皮と同じヌメヌメとした質感をした、忘却のうちにあった小昏い性癖」を刺激され、いまや得体の知れぬ反社会的な衝動に、ひどく動揺させられたことを告白しておきます。

 バージョン4.0の結末において、本邦の公立高校を思わせるあかねさす教室で、たがいにたがいをずっと昔に死んだはずだと信じる父娘が、「おまえはだれだ?」と誰何しあう場面で幕を閉じたのは、前世紀末に隆盛をきわめた「雫」「痕」「久遠の絆」などに代表される伝奇ノベルゲーへの強い目くばせがあり、瞬間、1990年代のフィクションがまとっていた独特な空気感の中へ、あたかもタイムスリップしたかのようでした。虚構内ニュース番組で初代Fateについてパロディめいた言及などもあったり、オンパロスの重厚さとはまったく異なったアプローチながら、自分自身が過去に通過した現実と虚構、双方の遍歴と密接にからみあうような物語体験になっていて、いまは今後の展開へ期待と恐れを半々にいだいております。もう幾度目になるかわからない、「どうして我々がうみだすべきだった物語が、我々とはちがう場所から、世界にむけて問われているのだろうか……」という重たい嘆息とともに、このテキストを閉じることといたします。

ゲーム「原神・Luna3」感想

 原神の最新バージョン6.2、伝説任務と魔神任務をともにクリア。始まったばかりと思っていたナド・クライ編もすでに序盤を越えて中盤へとさしかかっており、「博士」が「少女」の拉致を試みる事件で、物語は劇的にいったんの幕となりました。つくづく感じるのは、本邦の大手ゲーム会社が中高年のファンにむけて、ポキモンやらエフエフやらメガテンの続編だか派生作品だかの制作へしこしこと数年をかけた上に、シリーズのお約束と前例踏襲に満ちた自己模倣きわまるシステムと、スタークリエイターの主観世界を回遊ーー教祖の気がくるっても、信者は指摘どころか気づくことさえできないーーするようなストーリーによる低品質の仕上がりにもかかわらず、間遠すぎる供給ゆえに冷えた界隈がわずかばかり熱を帯びる状況を見るときの、島国的な息ぐるしさです。他方で大陸産の原神は、日本ファルコムなら30年、福本伸行なら300話ぐらいに薄く薄く引きのばすだろう話を、リリースからわずか5年で語りきろうとしていて、特に今回のドゥリンを描いた伝説任務には、現在のホヨバ幹部たちの思考が色濃く反映されているように感じました。

 「物語が語り終えられると、登場人物たちの運命が定まる」という考え方がそれで、いま世界でもっとも多くの読み手を持つ創作者によるストレートかつ赤裸々な心情の吐露に、目からウロコが落ちた次第です。運命の確定を回避する手段について、「物語の登場人物に語り手を移せば、作り手がいなくなったあとも、永久に物語を続けることができる」と結論づけるのですが、これは前バージョンへの感想でも指摘した、本質的に不要の大蛇足である原神ツクール「星々の幻境」を導入するにいたった初期動機を言い当てているようにも思えます。もしかすると、「物語を語り終えないことで、登場人物の運命を定めない」という無意識の希求は、長編型の創作者にとって普遍的な指向性なのやもしれず、ガラスの仮面や王家の紋章やグイン・サーガやバスタード!の顛末は、終わりたがる物語の自走性と終わらせたくない作者の欲望が綱引きをした結果、ある時点でたがいの力が均衡して、完全な静止をむかえた状態だったのかもしれません。だとすれば、未完となったはずのベルセルクを残された作画スタジオと作者の友人が終わらせようとしている例の取り組みは、登場人物たちに「造物主ではない存在による、運命の確定」を強いる行為であり、本来的にゆるされない性質のものであるような気がしてきました。

 だいぶにそれた話を原神へともどしますと、メインストーリーであるところの魔神任務は、達成率のともなう本マップの追加は無いまま、フルボイスによる台詞のかけあいとムービーだけで進むスターレイル形式を、またしても踏襲しております。しかしながら、生粋の萌えコションである小鳥猊下の本バージョンに対する満足度は、きわめて高いとお伝えせねばなりません。なんとなれば、全体として「少女」の去就へとフォーカスした展開になっており、鈴をころがすような愛らしいお声を聞きながら、そのおみ足とご尊顔をバグッた距離感でながめる栄誉にあずかれるばかりか、デートイベントと見まがう夏祭りの屋台めぐりに同伴させていただくサービスまであるのだから、チンケなマップの追加なんてメじゃない、夢の旅人として真実の愛をさまよい続けるための、広大な心のMAZEをあたえられたと言っても、過言ではないからです(どこの天空戦記やねん)。また、「世界に拒絶され、生への実感を失っていた者が、仲間たちに名前を呼ばれることで、世界との接続を回復する」という組み立ては、ちょうど初めての恋愛を運命だとカンちがいするように、家庭に問題をかかえただれかが町の愚連隊に居場所を見いだすように、鬱屈をかかえた思春期の若者たちの心に、強くひびく内容ではないかと思いました。

 いよいよ年始には、プレイアブル「少女」(エロい表現)がガチャに投入されそうなので、今年のクリスマス・ディナーはキャンセルせねばならないし、正月には遺伝的類似をともなった存在たちから、泣く泣くお年玉を取りあげる覚悟を決めるべきでしょう。まったく、ホヨバの世界戦略にふりまわされる家族が、不憫でしょうがありません。あと、空の軌跡がいったい何度目だかわからないリメイクをされる(た?)との記事を目にしましたが、本邦のニッチきわまる大長編シリーズ群は、そろそろホヨバの狡猾な手口を見習って、単一タイトルのもとにオンラインで続編を順次リリースする形へと、再構成するべきではないでしょうか。英雄伝説は2まで、テイルズは初代ファンタジアまでなロートルにとって、いまさらどの順番でプレイするかを調べるのも億劫ですし、サーバー管理などのリスクもあるのでしょうけど、少額ながら継続的な課金をお約束しますので、スターレイル方式で既存の物語が時系列に提示されていくことを希望します。

ゲーム「崩壊スターレイル第4章・明日は昨日に」感想

 崩壊スターレイルのバージョン3.7をクリア。1年近くにおよんだオンパロス編は、ここに堂々の完結をむかえました。この英雄譚は、はじめて彼の地へと足を踏みいれたときには想像だにしなかった、はるか遠い場所にまで我々を連れてきてくれたのです。生粋のストーリーテラーの脳内にあふれる物語を、湯水のようにこれでもかと間断なく浴びせかけられる体験は、長らく忘れていた書痴的な快楽でもありました。「最後の創世と火追いの旅」と「銀河の各勢力が結集する”壊滅”との対峙」を同時進行で見せながら、生命がかくある理由の深奥へと大きくせまり、クトゥルフ神話を彷彿とさせる狂気の神々までをも開示する、少年を主人公としたかつての物語類型がさまざまな理由から、絶頂の手前で頓挫させてきた、「世界という究極の謎」の解決ーー本邦でこれを達成したのはランス10のみで、FGO終章がより一般的な場所で同様の期待を背負っている状況ーーへ果敢に挑戦していく姿勢と、まばゆいばかりの才気のきらめきには、めまいのような感動をおぼえました。マダム・ヘルタと天才クラブの面々による丁々発止のやりとりは手に汗をにぎりましたし、にッくき仇敵ザンダーの弁にも理があると思わせる描き方は、本邦に主流の「IQ90の主人公をIQ50が平均の世界に置いて無双(笑)させる」作品群とは、視座の高さが天地ほども異なります。三千万回もの「読み聞かせ」が、ただの機械に過ぎなかったものの内側に”愛”を生じさせる過程や、巨大アヤナミを思わせる美少女とオクヘイマの12柱による”壊滅”との最終決戦は、ここにいたる膨大な積みあげがあるからこその、「激しい情動のドラマツルギー」へと昇華していました。このように、基本的な評価のベースは「観客席で滂沱の涙を流しながらブラヴォの拍手を送るスタンディング・オベーション」でありながら、上品に口を閉じておけず、苦言も同時に呈して読後感を汚すまでが、nWo節と言えるでしょう。

 ようやく重い腰を上げて参戦したサンデーが事態の解決になんら貢献しなかったのは残念ですし、”壊滅”への対処に向けた各勢力の内幕がROUGHでのシンクン・ソード将軍一派のものしか詳細に語られなかったのは不満ですし、オンパロスに結集した各勢力による銀英伝みたいな絵ヅラの艦隊戦が、ほんの短いムービーで終わってしまったのは、じつに拍子ぬけでした。なにより気になったのは、本章のライターから一身に恩寵を受けるキュレネの存在で、最初のうちは絶望の輪廻のうちにあって底抜けに前向きな言動や、冷厳なる論理による計画を”愛”のぬくもりで溶かそうとする在り方に涙が止まらなかったのですが、まさかこのピンク髪ポジティブ美少女モンスターのポエム語りだけで、最後まで走りきるとは思わないじゃないですか! たとえるなら、「ふわふわあま〜いパンケーキのおみせ」にはいったら、イクラかけほうだいならぬ、クリームとシロップかけほうだいのサービスをやっていて、マッチョ2めいが「おきゃくさまのタイミングで、ストップをもうしつけてください」といいながら、バケツからひしゃくですくったクリームとシロップをかけはじめるのですが、ディッシュをこえてテーブルにはみだして、ついにフロアにまでボドボドこぼれはじめて、おおごえで「ストップ、ストーップ!」とさけんでいるのに、おしかつんぼみたいにつうじなくて、「キミがッ、なくまでッ、かけるのをやめないッ!」とばかりに、クリームとシロップをかけるのをやめてくれないようなものです(バージョン3.7結部におけるロマンチックな”知恵”の融解現象を表現するため、ひらがな表記にしてみました)。特定のキャラクターに対する作り手の思い入れが、全体のバランスまで傾けた見本となってしまっており、なにか別のやり方があったのではないかと感じてしまいます。

 そして、「宇宙を救う活躍をした綺羅星のごとき英雄たちーー初期キャラのカフカや銀狼がかすむレベルーーは、どこまでもデータ上の存在にすぎず、出版された物語として現実に弱い影響を与えるのみである」という結末が、「どれだけ稼いで企業体として拡大したところで、つむがれたフィクションに現実の紛争や虐殺を止める力はなく、社是である”TECH OTAKUS SAVE THE WORLD”が達成される日は来ない」との内省だか諦念から来ているのだとしたら、あまりに生真面目でナイーブすぎると言っておきます。他のゲームでたとえるなら、「ボーダーランズの中にタイタンクエストがあって、タイタンクエストで育てたキャラはボーダーランズでは使えない」みたいな状況は、あまりにもったいなさすぎるでしょう。Gガンダムの最終回みたく、リアリティ・ラインを著しく下げ、オンパロスの英雄たちを受肉させて、スターレイル宇宙をみんなで冒険するほうが、ずっと楽しくてワクワクするにきまってるじゃないですか! まだ本章のバージョン更新が残っているみたいなので、ホヨバさん、ひとつたのみますよ!

ゲーム「原神・Luna2」感想

 原神のバージョン6.1、別称「ルナツー」を実装部分までクリア。話が前に進んでいたころの日本ファルコムや、世界の謎に迫ろうとしていたころのスレイヤーズ!を彷彿とさせる展開になっており、「五大罪人」のひとりをナド・クライの総力戦によって、討伐・封印するところまでが描かれる。ストーリーのクオリティに文句をつける気はないのだが、新マップをいっさい追加せずに、セリフのかけあいと豪華なムービーだけでお話が進んでいくのは、原神というより崩壊スターレイルの手法になっていて、社内の別チームから悪い学習をしているなと感じた次第である。大トリのクライマックスにひかえるイベント戦闘も、どんなになぐってどれだけ元素爆発しようと、なぜか敵の体力は0.1ミリずつしか減らず、たいへんにイライラさせられるものだった。原神の魅力をズバリ言えば、簡易な操作による爽快アクションとギミックの作りこまれたマップ探索なのに、今回の更新部分にはそのどちらもが欠けていて、鳴りもの入りの広報で盛大に幕を上げ、タイトルロゴにまで併記された「空月の歌」の先行きには、すでに暗雲が垂れこめているように感じてしまった。もっとも、「少女」がプレイアブルとして実装されたあかつきには、雷電将軍ほど課金しようと心に決めているため、おのれのふるまいが「母乳の味に文句をつける赤子」みたいなものであることも、理解しているつもりである。

 ひらきなおって母乳への文句を続けると、原神がまだ海のものとも山のものともつかない中国産ゲームだった時代に、単価の安さが理由で選ばれたのだろう声優による、台本にないアドリブを入れまくったドリーの演技が、耳にした瞬間にサブイボがたつレベルできつくなってきた。どうせすぐにサービスを終了する泡沫の中華アプリだとタカをくくり、前日の酒が残った状態で中国語原文を無視した巻き舌とかドモリとか間投詞を入れまくったオフザケを仲間内でゲラゲラ笑っていたら、あれよあれよというまに原神は世界的な超ヒットとなってしまい、背中に流れる冷や汗とナメた姿勢への後悔をぬりつぶすかのように、いっそうアドリブを過激化させていったというのが実情ではないかと推測する。これまでの脇役的なあつかいなら、まだ捨ておけたかもしれないが、ナド・クライにおけるサングマハベイ氏は、メインストーリーにガッツリとからむ主演級のあつかいへと昇格してしまった。過去に姉を亡くしている設定など、ドリーを深掘りしていこうとする制作側の意志を感じるし、そろそろヘンな抑揚の西風騎士(名前失念)ともども、キチンとした演技のできる正統派の、単価が高い声優で全セリフを録音しなおすべき時期が来ているのではないだろうか。

 さて、いよいよ本アップデートにおける最大の懸案事項である、「星々の幻境」a.k.a.原神ツクールにふれていくことにしよう。まず最悪なことに、軽い気持ちで当コンテンツにログインし、テキトーに鼻歌まじりで着せ替えドールを作成したところ、本編のキャラクターリストに珍妙な同人誌みたいなオリキャラ(それはキミのせい)が追加され、なんと永久に削除できなくなってしまった。見た目をマシなものに変更するガチャの石を集めるため、他のユーザーが作ったミニゲームを泣く泣く遊ぶハメになるわけだが、まあ、どれもこれも、まともにクリアまで動けば御の字で、ゲームバランスなんてまったく考慮の埒外にある、最大限ひかえめに表現したとしても、タワーリング・エス・エイチ・アイ・ティーみたいな内容のものばかりなのだ。「ときどき粗悪品にふれないと、一級品の良さがわからなくなる」とはよく言ったもので、アマチュアの作る数々のガベッジにふれたことで、メタファーサイレントヒルfにはいたツバをのみこみたい気持ちにさせられた(マシンチャイルドは除く)。作成ツールのほうにも少しさわってみたものの、できることは膨大に提供されながら、トリセツもなく講師もいない、LEGOプログラミング教室のアッパー・バージョンみたいな手ざわりに、早々に離脱せざるをえなかった。「星々の幻境」のデイリーをイヤイヤ消化していると、小学生対象のプログラミング大会で審査員席に座らされた、どれもこれも赤点以下のクラップなのに、80点から100点のレンジで評価をつけるよう運営側から厳命された、現役プログラマーみたいな気分になってくる。

 そもそも、どうしてこんなハードディスクの容量を圧迫し、ネットのトラフィックを増大させるだけのジャンクを、高級な白磁の壺へ投げこんできたのかを分析すれば、中華の心性に由来すると指摘できるだろう。三体や原神や崩壊スターレイルでくりかえされてきた「個人の肉体が不滅と化したところで、精神の摩耗はわずか数百年を耐えない」という考え方がそれで、さらに内奥へ横たわるのがなにかと問えば、「永遠の繁栄を約束するものは、すなわち”家族”である」という思想なのだ。それは同時に、世界各地の中華街が体現する、中華人民の美徳と悪徳が表裏となった「生き汚なさ」の正体でもある。原神の本編は、いよいよロシア相当の国家であるスネージナヤを残すのみとなり、このままのペースでいけば2、3年のうちにメインストーリーを語り終えてしまうところまで来ている。地平線のかなたに見えはじめたエンド・オブ・エターニティを前にして、中華の心性にひそむ「生き汚なさ」がオートマティックに発動し、多国籍からなる数千万人のユーザーたちに、原神世界を永遠につむがせる方策をあわてて考案したのにちがいない。しかしながら、その決断が開発リソースを圧迫し、原神本体のゲーム体験を毀損ないし劣化させていることは、大きな問題だと言える。フォンテーヌまでの冒険と、ナタ、そしてナド・クライにおけるそれは、ほとんど異なるものになっており、根本的な原因は、新規マップを導入する頻度のあからさまな減衰だと指摘できるだろう。

 冒頭にも述べたように、原神の楽しさの本質とは、ストーリー進行と密接にからみあった新世界の探索であり、崩壊スターレイルとはちがって、セリフとムービーの紙芝居だけで自立できる物語強度を持つわけではない。制作陣が早くこの事実に気づき、しょうもない原神ツクールに貴重な人員と工数を割くのをやめて、まずは本編の物語を最高のクオリティで語りきるのに注力してくれることを、心から願っている。ここまでを読みかえすと、驚くほどに愚痴ばかり(いつもの)となってしまっているが、「傀儡」がプレイアブルとして実装されたあかつきには、炎神ほど課金することも辞さない萌えコションの手によるテキストであることを、まずもって諸君は念頭に置くべきであろう。終わる。

雑文「STARRAIL Odyssey and METAPHORIC Student Activism」(近況報告2025.8.24)

 崩壊スターレイルの最新バージョン3.5を読了。内実はプラモなのを駄菓子として販売するため、小さなガムを申しわけに同封していた往年のビッグワンガムを思わせる、内実は大河小説なのを課金ゲームと強弁するため、木枠のチルトでビー玉を外に運ぶ”知育玩具”を申しわけにマップの片隅へと置く仕草には、思わず笑みがこぼれました。先のビー・エル騒動からもうかがえるように、大陸では漫画や小説に対する当局の検閲があまりに強すぎるために文化として育たず、それらの分野をこころざす若きエンタメの才能たちは、すべてアプリゲームに集結していくとの指摘をどこかで読み、ホヨバという会社への解像度があがった次第です。最近の原神は、なんら構造性のない平板な「家族愛の一本槍」をふりまわすばかりで、当初の浮かされたような高熱は、ほぼ平熱まで冷めてきていますが、ストーリーテリングだけに特化した崩壊スターレイルのバージョン更新は、「世界最高峰の最突端を、現在進行形で走っていると信じる者たち」の輝かしい才気と荒々しい自負が、挫折した創作者の魂を熱狂でふるわせるのです。登場するすべてのキャラクターたちは、「大きな物語」を駆動するための狂言まわしとしての役割をあたえられ、あえて悪意的に言えば、本邦のそれらとちがって、物語を剥奪されたときに単体で自立する強度は、まだ持ちえていません。これはおそらく、「当局の検閲を意識するため、性的なニュアンスをあからさまには付与できない」ことに起因していると分析しますが、同時にシンエヴァを極北とした「キャラクターが、世界の構造に優越する」物語群に堕することから、遠ざけてくれているとも言えるでしょう。

 現段階において、「シミュレーション世界であるオンパロス」「オンパロスを演算するオペレーション世界」「スターレイル世界」「我々の住まう現実世界」の”四重入れ子細工”によって物語はつむがれているのですが、才能の枯渇したストーリーテラーにありがちな、そして近年、本邦の虚構で散見しがちな、”第4の壁“を越える愚だけはおかさず、おそらくのゴールである「シミュレーション存在の受肉」を語りきってほしいものです。これは、急速に発展する人工知能が人間という肉を介さずには、世界へ干渉できない事実に向けた思考実験であり、もっと卑近に言えば、「清潔な都会のデスクワーク」と「粉塵が舞う地方のドカチン」の対比であり、後者の環境で活動するためには、「アイの歌声を聴かせて」の感想でもチョロっと書いたように、ネット環境へ依存しない「安価で自立した、人間そっくりのガワ」が必要となり、そんなものはまだ世界のどこにも存在しないのに、だれもあえて言及しようとさえしない難題でもあります(ドカタ仕事は、無限リポップするとでも思っている、高卒ヤンキーにまかせとけと考えているのかもしれません)。

 いつものように話はそれますが、メタファー:リファンタジオに関する評をネットサーフィン(笑)でさがすうち、故・三浦健太郎と開発スタッフが対談する、数年前の記事を発見してしまいました(ゲームにうといウラケンがメガテンをほめまくるのに、「いやいや、それは金子一馬さんをはじめとする先輩諸兄の手がらであって……」ぐらいの謙遜さえないのには、たいそうムカつきました)。それを読みすすめるうち、プレイ中にずっと感じていた「恥ずかしさ」と「いごこちの悪さ」の正体がなんだったのか、ようやくわかりました。事前に予想していたとおり、制作の統括者たちとはほぼ同世代であり、この年代は学生時代にインターネット抜きの平和教育と人権教育を、べったりと魂の基底部に塗りつけられた経験があります。ゲームを起動すると、毎回ながれるムービーの冒頭に、市民が犬の獣人をののしって足蹴にするシーンがあり、これが本当に心の底から不快で、うっかりスキップに失敗したときには、プレイせずにシャットダウンしてしまうこともあるぐらいでした。その理由を言語化すれば、大卒で富裕層出身の全共闘がチンポみたいにゲバ棒をふりまわし、高卒で貧困層出身の機動隊をなぐりつける図式を連想させ、「部落差別」や「穢多非人」を小学生に語る大人の目の底にあった正義に酩酊し、反論をいっさい予期しない支配の強圧が臭気のかげろうとなって、眼前にたちのぼるのを幻視したせいでしょう。魂のおもてにこびりついた、コールタールのような黒い汚れをすっかりぬぐいとったはずなのに、遠目にはきれいな白い表皮から、あの特有のにおいはいまだ消えていないのです。この意味でメタファーの、主にストーリーに対する負の感情は、同族嫌悪に近いものだったと理解できますし、全共闘の大卒者たちが人生の最終盤をむかえて地上より消滅しつつある現在でさえ、いまだに彼らのあたえた色眼鏡を通してしか世界を認識できない人々の実在に気づいて、愕然とさせられます。

 崩壊スターレイルがわずか2年ーー6週間毎の大型アップデートを続けて2年ですよ、念為ーーで、人間存在の深奥にせまる巨大なSF叙事詩をみごとに織りあげつつある一方で、メタファーは7年もの歳月ーーウラケンも完成を見ずに亡くなってしまったーーをかけて、昭和の同和教育読本「にんげん」をファンタジー世界に再現しているのです。自戒をこめてテキストに残しますが、大陸の若き英才が文字通り、命を賭して虚構を通じた体制批判を敢行しているのに対して、単純な時間経過によって、上の世代が組織からロールアウトし、もっとも大きな責任をあずけられる立ち番になってなお、こんなイデオロギー未満の甘えーー両親、国家、権力者などへの攻撃ーーを捨てられない心性は、まったく恥ずべきものです。どうか若い世代のみなさんは、古い世代がさらに古い世代より押しつけられた価値観を忠実に体現するメタファーではなく、大陸の新しい息吹が現在進行形の世界と対峙する崩壊スターレイルから、人生への処し方を学んでください。

雑文「Apocalyptic STARRAIL and Continuous GQX」(近況報告2025.7.10)

 崩壊スターレイルの最新バージョン3.4を読了。メインストーリー部分は、もはやゲームとして遊ばせる努力を放棄しているが、ナタ編後半で投入されるシナリオがことごとく失速ぎみの原神に比べると、たいへん高い熱量がこめられていて、大いに作品世界へと引きこまれた。先に予測していたように、オンパロスは無限の演算能力を持つ装置による”シミュレーテッド・リアリティ”であることがついにあきらかとなり、これまでに体験してきた「世界の崩壊へとむかうギリシャ悲劇」は、登場人物を同じうして3355万335回くり返されてきたことが示される。「膨大なテキストと細密な演出でつむがれてきた人々の想いは、それでもなお、プログラムされたフィクションにすぎず、現実との連絡は絶無で少しの影響もあたえられない」という絶望は、おそらくホヨバという会社が市場での規模を拡大させる過程にいだき続けてきたもので、神の被造物である人間を似姿とした人形が、ハードロックをBGMに神へ一矢むくいるという手描きのアニメーションは、「若く青くさい、熱情の切実さ」ゆえに強く胸をうった。この「虚構から現実への反逆行為」の実行者であり、のちにオンパロス世界の観測主体だとわかるファイノンというキャラクターは、壮麗かつ破天荒な綺羅星の如き他の英雄たちとは異なり、勤勉かつ実直な良識人として描かれてきた。失敗にいっさいの言い訳をせず、おのれの弱さを認めた上で、日々の鍛錬でそれを克服しようとする姿勢は好ましいものの、いささか生真面目すぎて人間的な魅力にはとぼしいと言わざるをえない。「親は婿として欲しがるが、娘は恋人に選ばない」タイプの、やや面白みに欠ける人物なのである(崩スタ未プレイ勢には、ジークアクスのエグザベ君を想起してもらうとわかりやすいと思う)。のっぺりとしたその特徴のなさは、じつのところ、驚愕の謎解きへと転化するための、「ミステリー小説における、真犯人からの視線そらし」であったことが判明し、アベンチュリンを前例に経験していたにもかかわらず、まんまと同じ手口にひっかかってしまったわけである。

 さらに、3355万335回のニーチェ的”永劫回帰”を追体験するパートは、古いオタクのたとえながら「エンドレスエイト」を想起させ、薄暗いシアターでプレイしていたことと相まって、ほとんど気がくるうかと思った。「観測者にとって”正しい”世界を求めて、無限個の試行をくり返す」物語ギミックは、太古のエロゲーであるデザイアがその原型を考案し、まどマギなるコピーキャットによって爆発的に人口へと膾炙させられたものだ。同様の物語類型として、直近ではジークアクスが記憶に新しいが、本作においては明確に次回のコラボ先でもあるFateの本歌どりを意図したのだろう。ここでまた、ジークアクス方向へ脱線しておくと、総集編による劇場版やブルーレイ販売の予告が、不自然なまでに避けられている現状について、いまにしかできない予想を述べておく。各話タイトルに話数の表記がないことから考えて、ズバリ、テレビ放送した12話へ新作の12話プラスアルファを挿入した「全26話の完全版」制作が、水面化で進行しているのではないだろうか。スタジオの体力面と金銭面での不安は、今回のメガヒットによって払拭され、パッと思いつくままにならべると「省略されたクランバトル回」「コモリ少尉とエグザベ君の交流”回”」「主人公とコモリ少尉の親睦”回”」「主人公失踪後の母親・同級生・運び屋回」「主人公とヒゲマンの特訓回」「アルテイシアと本ルート生存者の暗躍回」「最終話のエッセンスを3話に拡張(シュウジのループ回含む)」「登場キャラそれぞれの後日談」ぐらいのエピソードを、完全版において物語の大きすぎる余白へ埋めていくはずだと放言しておこう。

 ここからさらにアポカリプスホテル方向へと脱線し、本テキストは崩壊スターレイルという本筋から離れて、複線ドリフトしたまま終わると思われる。同作を最終話まで見たのだが、ゲストキャラにとどまると考えていたタヌキ一族が物語の中心にすえられて、主人公の属性である”永遠と停滞”の対比として「時間経過による成長と変化」を担当することになったのは、意想外の展開だった。6話までの感想にも書いた「昭和の風俗紹介」という印象は当たっていて、未確認飛行物体を召喚する呪文からはじまり、セーラー服反逆同盟(!)を思わせるスケバンのいでたちーーパーマネント、紫のチークとアイシャドウ、足首までのロングスカート、風船ガムという徹底ぶりーーまで、あると信じていたメインストーリーそっちのけで、徹底的に脇道のスラップスティックをつらぬく”ひらきなおりっぷり”には、もはやある種のすがすがしささえ感じたぐらいである。やがて、その「ドタバタ無法」は、結婚式と葬式を同時に挙行したあげく、祖母の遺体を手品の余興でもてあそぶという、往年の筒井康隆を彷彿とさせるブラックユーモアの絶頂へと達するのだった。ロボットたちの創造主である地球人が帰還する最終話にも、期待していたような”コッペリア的悲劇”はみじんも混入せず、最後の最後まで人をくった展開のまま、物語は幕を閉じてしまう。全体として、昭和末期から平成初期に国営放送で全52話が放送されていたアニメのサブシナリオだけを集めたような構成になっていて、これはもう国営放送で全52話のアポカリプスホテルを制作するしかない(政治家の名を冠した、例の構文)。終わる。

雑文「J. METATRON and D. SHINKANSEN(近況報告2025.5.8)

 FGO奏章IV、喜怒哀楽のいっさいが脳裏に浮上しないよう、心を無にして流し読みする。細かい批判はトラオムのときにさんざん述べましたので、まずは大枠からひどいことを言います。FGOが「他の課金ゲームに比べて、テキストがすばらしい」ともてはやされていたのは、もはや数年以上も前のこと、いまや半島や大陸のライターたちがおのれの置かれた政治状況から、当局の検閲による逮捕や投獄ギリギリのラインを攻めた「決死の文学」を試みているのに対して、かつてエロゲーや”軽い文芸”に従事しながら、一線級には届かず他分野への転身もできず、ほそぼそと業界の落ち穂ひろいをしている中高年ライターたちへの、老人ホーム的な社会福祉の場と化しています。すなわち、FGOという一大テキスト集金装置からブ厚く切り分けた肉を、大学のサークル棟の一室で仲間に分配しているようなもので、ときどき顔をのぞかせる一線級の書き手たちも、不健全な状況へ早々に見切りをつけて離れていっているのでしょう。それも当然のこと、この同人サークルではなにを書いても主催者であるファンガスのテキストと比較され、彼/彼女の筆が圧倒的でただ互することさえ困難であるという純然たる事実にくわえて、古くからの信奉者である取り巻き連からの激しい批判にさらされる、自分のウデだけで食えている人間にとって、まったく割にあわない仕事なのですから! 結果として、サークル棟の一室にずっとたむろしているのは、業界でひとりだちできない、食いつめた二線級のライターばかりになるというわけです。

 なぜアガルタのクソ女が、物語のプロット的にとても重要な部分ばかりをまかされるーーそして毎回、FGOの屋台骨を傾かせるレベルでぜんぶ台無しにするーーのかは、この「同人サークル理論」で簡単に説明がつきます。室内には、黒ぶち眼鏡でチェックのシャツを着た前歯が長めの男子数名と、フリル多めなピンクのワンピースをふっくらした体型にまとわせた女子1名がいると想像してください。次回の同人誌を作成するため、サークルの部長が各章に登場する人物とおおまかなプロットをまとめたカードをテーブルの上にならべてゆき、どれが書きたいかをメンバーたちへ問いかけます。「ハイハーイ、アテシ、これ書きたーい!」とまっさきに手を挙げたアニメ声のピンクフリルが、”オイシイ”場面をすべてかっさらったあげく、「ダメ? アテシ、欲ばりかな?」と得意のウワメヅカイで哀願します。その様子を見つめて微笑する男子たちに、元より否やはありません。なぜって、その部屋にいる全員が、ピンクフリルと寝ているのですから! そして、いいですか、この舞台裏はアラフィフからアラカンの登場人物によって演じられていると想像してみてください! おのれの力量に自負のある一線級の書き手や、現世のカネを前にして少しの理性と品性を失わなかった者たちが、このサークル棟の一室には、けっして近づかない理由をおわかりいただけたことでしょう。閨(ねや)で男子の胸に指で”の”の字を書きながら、「アテシ、アンタがファーストマスターだからぁ、ほんとよぉ?」と甘い声をだすふっくら女子が目に浮かぶようです(幻覚です)。

 今回のストーリーについては、細かいところを指摘しだすと数万字の呪詛になりそうなので、ざっくりと例え話でお伝えします。ふつうの書き手なら、「読み手の肩ごし」ぐらいの少し俯瞰した位置から、読者の予測を先まわりしながら、物語のつむぎ方をコントロールして、驚きを演出していくものです。これに対してアガルタのクソ女は、「読者の目の前で地面に這いつくばって、棟方志功ばりの近視眼で原稿用紙のマスを埋めていっている」と表現できるでしょう(ちなみに、平井大橋の特異性は、衛星軌道上から人工衛星の目で、物語と読者の双方を視界におさめているところです)。アタマが悪いとまでは申しませんが、不必要に冗長な描写をするくせに必要な説明や情報はつねに欠落し、ほんの短いテキスト射程距離のあいだでも論理と情緒が矛盾か破綻をしていて、登場人物たちの会話は成立する以前に崩壊しており、スキマだらけの行間をネットスラングに強く依存したーーたのむから、マトモな紙の本を読んでくださいーー品性の下劣な、「言っている本人だけが爆笑している」サムい水増しギャグで埋めていくのです。「いまながめているテキストは、本当にあの、天下のFGOなのか?」という疑問がずっとつきまとい続けるような始末で、たいへんによろしくない言い様ながら、「昭和時代の小規模な女性向け同人サークルによる、ハイテンションでやおい成分の多めな二次創作(手刷りホチキス)」を、ノンケ男性が強要されるのにも似た苦行でした。三国鼎立とライヘンバッハ、ダンテの神曲とメタトロン、多く人々が共有する既存の枠組みで物語のビルドアップをスッとばせるのはFGOの発明ですが、アガルタのクソ女は最高級の食材をあたえられながら、調理の結果は大量の塩と油で素材の良さをすべて殺した、印象派の絵画を原色ペンキで修復するがごとき、栗本薫のコンビーフ飯なのです(わかりにくい例え)。アテシのオリキャラにプレイヤーの分身たる主人公をベタベタとさわらせ、アテシのオリキャラでコヤンスカヤとホームズを雑に退場させ、アテシのオリキャラがとくだん因縁もないのにヒロイン(笑)へ執拗にウザがらみするーー被愛妄想からのストーカー殺人や通り魔事件の横行する世の中で、こんな気味の悪いサイコパスを、ファンガスの気高いFGOへチンポみたいにブチこめる厚顔無恥とデリカシーの欠如だけは超々一級品で、高畑勲とは真逆の意味で「現実では、ぜったいに遭遇したくない人物」だと吐き捨てておきましょう。

 今回のメインテーマである箱男の対偶a.k.a.盾女の話も、「味のしなくなったガム」を延々としがみながら唾液を嚥下している感じで、「男性作家による、世界の命運を少女に背負わせる話は、平成に置いてくるべきだったよなー」と、内省的な気分にさせられました。あッ、「少女に背負わせる話」で思いだしました! 連休中、ネトフリのオススメへ頻繁にあがってくる新幹線大爆発のリメイクを視聴したのですが、「失敗したシン・ゴジラ」としか形容しようのない作品に仕上がっているのです。車掌役なのにひどく滑舌の悪いクサナギ君と、干された事実への同情が消えるぐらいの大根役者ッぷりである「ouiの反対の意味の二つ名を持つ女優」が織りなす、題材のわりに緊張感に欠けるストーリー展開を、しまりのない撮影と編集でダラダラと垂れ流しにしてゆきます。昔ッから、ヒグチのほうのシンちゃんは、「映画を制作する過程が楽しいなら、出来あがったものは二の次でかまわない」という姿勢を貫いているようで、以前も紹介しましたが、シン・ゴジラ撮影時にQアンノの現場でのふるまいを見て、「本当にすごいし真似できないが、同時にああなったら終わりだなとも思う」と言及していたことは、この推測を裏づけます。底抜けのコミュ力でJR東日本との折衝を嬉々として行い、いち鉄道オタクとしてホンモノの統合指令所での撮影にテンション爆上げになり、ただただ和気あいあいとした現場を維持するため、演技にダメだしをしない一発撮りで役者をヨイショして、一日の終わりには気のおけない昔からの仲間たちと反省会と称した飲み会をもうけ、とにかく文化祭の前日の延長みたいに、クランクアップまでイヤな感情ぬきで楽しく仕事をしたいーーその姿勢が、よくも悪くもフィルムへと熱転写されているように思います。きわめつけは、女子高生が事件の真犯人だった(ハァ?)という話で、ガメラ3から連綿と続く作劇の手クセと言えば手クセなのですが、「男性の視点から見た、ギラギラした性欲を経由するがゆえの、一方通行の神秘性」をただの”未成年の子ども”へと、アラカンになっても付与し続ける態度って、「大の大人として恥ずかしくないのかなー」などと考えてしまう人生の季節をむかえております。

 だいぶにそれた話を奏章IVへともどしますと、ようやくクリプターの最後の生き残りが物語から退場する機会を与えられた直後に、「恥丘白痴化(だっけ?)が解決すれば、2016年に時間が巻きもどって復活する」可能性が提示されたことに、ファンガスの作品を貫くテーマであるところの「網膜を焼く生命の輝きと、二度と取り返せない喪失」をなにもわかっていないと、小鳥猊下はたいそう怒りくるっているだろうと、みなさんはご心配のことかもしれません。じつはねー、それとは真反対の精神状態なんですよねー、どうしよっかなー、これねー、型月本体と関連会社の株価に影響が出るレベルのインサイダーな憶測になるけど、言っちゃおっかなー。ズバリ、今回の唐突な「時間遡行による大団円の明示」が意味するところは、FGOの物語は第2部で終わりをむかえ、同一アプリで主人公を変えた第3部を開始するのではなく、崩壊スターレイルの開発チームとゲームエンジンによる、第1部からの3Dフルリメイクが行われる計画のほのめかしなのです。これはファンガスの負担を減らして、新たなクリエイティブへと向かわせるためのウルトラC(古ッ!)で、すでに存在する膨大な世界設定とキャラクターとストーリーを、世界最高峰の開発力を持った会社にあずけて、初期の拙劣なテキストとワイバーン地獄を修正しつつ、ときおり制作物の監修作業を行えばよいだけになるのですから! 余った時間を月姫やら魔法使いの夜やら、古いファンの期待を尻目に頓挫しているシリーズの続きーー私は読みませんがーーへと着手したり、まったく新しい物語を立ちあげることさえできるでしょう(まあ、執筆への強制力を失ったファンガスが、与えられた余暇をすべてゲームやマンガなどの消費活動に使ってしまう可能性は、きわめて高いと思っていますが……)。

 あと、今回の盾女のセリフに「始まったって、いないのです!」という文法の壊滅した一文ーーもしかして、「始まってすらいない」と言いたい? 日本語ネイティブではないライターなの?ーーがあり、「テキストサイト管理人の文章力を虚仮にしくさって、オォ? 要介護のロートル・ライターにはらうカネがあるんやったら、とっとと校閲部門を立ちあげんかい、ダボが!」と思いました。おわり。

ゲーム「崩壊スターレイル第4章・安眠の地の花海を歩いて」感想

 あらゆる形態のフィクションのうち、いまもっとも続きを待ちわびていると言っても過言ではない、崩壊スターレイルの最新バージョン3.2を8時間ほどかけて読了。更新のたびに膨大なテキストが追加され、以前にも指摘したとおり、プレイフィールは「もはやゲームというより小説」なのですが、やはり中華の物語は「時間」「家族」「死生」を書かせると”群抜き”(平井大橋語)で、定命と不死を対比しつつ、死の根絶の是非を問答しながら、「死が人の心に情熱をともし、そこから愛が生まれた」という結論へといたる筆致は切実さに満ちており、じつに見事なものでした。最近、赤毛のアンをおそらく数十年ぶりに読み返したのですが、おのれの視点が完全にマリラ側になっていたのには、長い時間の経過を実感させられました。そして、子どもというのは、孤児であるかどうかに関わらず、ある日、突然に日常へ出現するものです。赤毛のアンとは、孤独な兄妹が過ごした、不死のように変わらぬ40年の日々が、ひとりの子どもの出現によって、ひとつの死へむかって動きだす物語でもありました。アンがクイーン学院へと旅立った夜、マリラはベッドの中で号泣し、「神ではないものを、こんなにも愛していいのだろうか」と自問するさまを見て、なぜ百年以上を離れた異国の地の作家が、同じ感情を知っているのだろうと、泣けて泣けてしょうがありませんでした。ことさらに無感動をよそおった若き日々から、心中に生じた愛の深まりへおそれおののく人生の季節を越えて、その執着を彼方へと見えはじめた死に向けてどう解消してゆくのか、かつては宗教がその答えを持っていたはずですが、いまは大量の等価で無価な情報にとりまかれたまま、ただ茫然と立ちつくすほかはありません。

 モンゴメリを読み、それから崩スタや原神を読むとき、私の胸へと去来するのは「この半世紀というもの、我々はあまりに少女を性的に消費し続けてしまった」という悔恨にも似た感情です。「少女の見た目をした、死をつかさどる双子の半神」という設定を、本邦における現代の創作者たちがあずけられたとき、どんな内容の物語が上梓されるのかを想像しただけで、暗澹たる気持ちにさせられます。まちがいなく、たっぷりと性的な百合展開が大半を占め、最上のものでも萩尾望都のカーボンコピーがせいぜいでしょう。キャストリスなるキャラクターを中心として語られる今回のバージョンは、キャッチーにセクシャルなモデリングで萌えコションたちへ旺盛な課金をうながしながら、そのストーリーの内実は非常に骨太な「家族愛」と「死生観」の話になっているのです。余談ながら、たびたび話題に挙げるところの漫画喫茶と温泉の複合施設で、なぜかトリリオンゲームをぽつぽつ読んでいるのですが、お話し自体はかなり行きあたりばったりなのに、池上遼一の画がいちいちおもしろすぎて、”間が持って”しまうという不思議な漫画体験をさせていただいております。その劇中に、おそらくパズドラあたりを下敷きにしたアプリ制作編があり、課金にまつわる”オレ理論”が展開されているのですが、ホヨバのリリースした原神が覇権アプリと化す”以前”の話になっていて、ほんの数年でここまで市場をゲームチェンジできるものかと、ある種の感慨をいだきました。その勝利の理由は言葉にすれば、「オタクの”好き”に向けた純粋さに対して、常に誠実かつ真摯であり続ける」という一点を極限にまで突きつめたゆえで、近年のFGOが失いつつある種類の美点でもあります。

 崩壊スターレイルというアプリは、その人気のわりにストーリー・パートへの感想がほぼ見当たらないので、ファンの多くを占める若者たちは、シナリオは全スキップしながら、登場人物たちの魅力的なルックスと、よくできたプロモーション・ビデオと、作中の派手なムービーだけを消費しているのだろうと推測しております。しかしながら、このゲームの本質は膨大なテキストにこそあり、じっくりと読みこんでいくことで世界観に由来する玄妙な情緒が立ちあがって、大の大人の鑑賞へ充分に耐える中身になっているのです。今回の更新部分で驚かされたのは、手書きのアニメーションが突如として挿入されたことで、驚くと同時に思わずヒザを打ちました。アニメ指向の3Dモデルは、派手なアクションのムービーで輝きこそすれ、動きの少ないシーンでは人形めいてしまい、どこか繊細さに欠けるものです。制作者の意図するキャストリスの遍歴と感情のゆらぎを表現するのに、3Dモデルでは演出をつけきれないと考えたのでしょう。たとえつたなくとも、たとえ失敗したとしてさえ、「意志のあるチャレンジ」は、惰性による停滞から抜けだすためにとても重要で、「意志なき現状維持による不失敗と不成功」を再生産し続ける界隈(ドキッ)に棲息する諸氏におかれましては、この姿勢をぜひ見ならってほしいものです。本章のヒキとなるクリフハンガー部分では、いよいよオンパロスを管理する「ラプラスの魔」に相当する存在が姿を現し、この世界がシミュレーション仮説そのものなのかもしれないという疑惑は、いっそう深まりました。ペガーナの神々で言うところの「眠れる大神」を思わせるほのめかしをして、「次回、乞うご期待!」となったときには、「えー!」と思わず大きな声が出たほどです。

 それにつけても、ひとりのトップクリエイターがプログラムからシステムからシナリオからぜんぶやる、他者の人生を平気で数年ほど待機させて恥じない傲慢な本邦のゲーム群とは異なって、6週間を待てば必ず続きがリリースされるのだから、まったく中華のクリエイティブ商売は大したものじゃないですか。本邦のゲーム制作に従事する諸氏は、ユーザーへ徹底的に奉仕する、この「謙虚さと誠実さ」を見ならうべきじゃないですかね。最後に、小鳥猊下の作品から一節を引用して、本邦のクリエイティブ界隈へひそむ不遜な性根へのカウンターとしておきます。『考えれば、この”やめる”という選択肢を持たないものは、世の中にそれほど多くありませんよ。さっき言った政治と、なんだろうな、愛? いやいや、冗談です。文学も、音楽も、芸術も、すべて疑いなくやめることができます。やめても生活が続くものを批評するのは、意味がない。ゲームなんて、文学や音楽や芸術のうちの末席の、更に後ろのムシロ桟敷でしょう』

雑文「STARRAIL, DQ3R and FGO」(近況報告2024.12.13)

  崩壊スターレイル、「八日目の旅立ち」がよすぎて、野郎にはいっさい課金しないことで有名な萌えコションであるところの小鳥猊下が、気がつけばアベンチュリンに引き続いてサンデーを星穹列車にむかえていました。この人物、神話世界をよく説明して人間精神の近似を取ることで有名な、Fateシリーズが丸パクりしながらもかたくなに言及を避ける、文系にとっての「不快な量子力学」であるところの、「女神転生アラインメント」ーーライト・ダークとロウ・カオスの対立構造にそれぞれニュートラルを加えた9象限の図式ーーで言えば、典型的なライト・ロウに当てはまります。「外出時はスラックスの折り目ただしく、靴のつま先に沿うように」し、深い挫折からの再起と成長には「事物への中庸的な態度」や「予断を持たない是々非々」というニュートラル・ニュートラル的なものを受け入れることが必要であるとなかば気づきながら、それを「嫌いです」と言い放つーー私にとって、彼の内面はまったく他人ごとのようには思えませんでした。我が来し方をふりかえれば、ライト・ロウの人生を選択しながら、心の中はどこまでいってもダーク・カオスであり続けたことに、小鳥猊下の苦しみの正体はあると言えるかもしれません。楽園の創出を生涯の目的とするライト・ロウのサンデーが、ニュートラル・ニュートラルな列車組とする旅と交わりの中でどのように変化していくのか、その最前列の観客であれることは、これからの楽しみであり、大きな喜びです。

 ついでにドラクエ3リメイクの話をしてーーまあまあ、眉をしかめず聞いてくださいよーーおくと、PC版いばらの道を”ゆせけま”でクリアしました。転職は僧侶から賢者の1回のみ、道中に入手したタネはすべて勇者につぎこみ、レベル48でゾーマにいどんだのですが、やはり従来的なドラクエのバランスになっているとは、とうてい言えません。制作者インタビューで開発責任者とおぼしき人物が、「他の組みあわせはスタッフにまかせ、自分は”ゆせそま”でのバランス調整を行った」とのたまっていましたが、それは謎の工業規格「USO800」であることがわかりました。ドーピングをおこなった勇者のHPが700、他のパーティメンバーのHPは300前後なのに対して、ゾーマのブレスとじゅもんが150〜200ダメージ、つうこんが300ダメージで、3回行動するものだから、けんじゃのいしとやまびこベホマラーによる80かける3の回復では、ジリ貧になってゆきます。ドラクエ3オリジナルのゾーマ戦は、適正レベルでスクルト、フバーハ、バイキルトなどの補助魔法を駆使した持久戦が楽しいのですが、本リメイクではいてつくはどうの頻度が高すぎることもあいまって、どうしても「2名が回復魔法をとなえつづけ、2名が無強化でなぐりつづける」という、非常に単調でつまらない展開になってしまいます。最後はひとり生き残った勇者が、「ベホマで自己回復しながら、3回行動にマヌーサかいてつくはどうが入ったときに攻撃する」という戦法で、からくもたおしました。死闘感こそありましたが、バランスの調整不足が原因なので、ちっともうれしくはありません。終盤までキチンとテストプレイをしていたのなら、ベホマラーとベホマズンのあいだにベホイムの全体版が必要なことにだれでも気づくと思いますが、「ホーリー遊児が考案した固有名詞しか追加してはならない」みたいな縛りがあるんですかねえ(気づいていないに一票)。

 これ、初期ウィザードリィの「ディアラマ・マディ問題」ーーディアラマがHP30前後、マディがHP全回復であり、レベル13ぐらいまではよく機能するが、レベル1000の忍者を育成する標準的なプレイヤーを想定していないーーとまったく同じ構図で、ステータス上限を999に拡張しながら、エンドゲームの遊ばせ方にまったく思考が存在せず、「ジブン、なにがしたかったん? 歴史に学べないアホなん?」との感想しかでてきません。「みんな、まものよびのことをたたくけど、”ゆせそま”はちゃんとバランス調整したもん!」という制作責任者の妄言をズタズタに論破したところで、ようやくこの陰鬱な遊戯からコントローラーを置こうとしたのですが、なぜかまた転職のための「はぐれメタル狩り」をはじめているという……あッ、クリア後の裏マップがすべてダンジョンあつかいになってて、modで改変したオリジナル・ルーラじゃ脱出できないじゃん! リレミトも???にもどるだけだし、これ、完全な詰みじゃん! ほんま、ドラクエ3リメイクは、どこまでも古参ファンを苦しめよるがな(ダーク・ニュートラル)! あと、またぞろFGOが炎上しているようですが、ホームズを雑に退場させた女性ライターが「ぞぅ」語尾でファンガスをプリテンダーして誤認を引き起こそうとしたり、愛人特権で「アテクシの考えた最高のオリキャラ」へ高性能を与えてもらっている事実にイッライラしていたので、現在進行形の騒動を見ながら、どこか溜飲を下げているところはあります(ダーク・ロウ)。しかしながら、「工数の少なくてすむ弱めの発表で様子を見て、SNSが鎮火しなかったから対応を最大化する」のはパブリック・リレーションズとしては下の下の下で、経済優先の集金装置である人類悪そのもののアプリに、ファンガスの高貴な善性がテキストとして格納されている事実が、FGO最大の皮肉なのかもしれませんね……(ニュートラル・ニュートラル)。