世界はあまりに膨大になりすぎたため、ただの羅針盤にさえ重大な意味がある。

愛のうた


誰も知らない

サクマドロップ、アポロチョコ。世界の残酷さを描くのに、プライベート・ライアンのような戦場ドキュメンタリー的映像を撮るか、原爆が投下される一日前に過ごされただろうありふれた日常を丁寧に追うかは美学の差である、みたいなことをどこかで監督が語るのを読んだことがある。話は突然変わるが、この夏をかけて諸君がスメリー・マウスで萌え萌え言っていたところの「けいおん」を全話視聴した。重篤な高二病の罹患者である私は、ブームが去ってからも一定の期間を置かないと人気作に触れられない気質なのだ。視聴後の気分をひらたく表現すると、とても感動した。あらかじめ失われることの決まっている日常が、丹念に描かれていたからだ。もちろん、現実にまま生じる負の要素が一切とりのぞかれていることをリアリティの欠如として指摘する向きもあるだろう。しかしながらこの物語の本質は、失われるものへの哀悼なのだ。喪失がより残酷さを増すためには、幸福は楽園の夢のように描かれなくてはならない。いつ桜高は桜女子高になったのか、みたいなツイートを以前したような気がするが、全話を通して見た現在、むしろその転換は必然だったと感じる。なぜなら、女は男より多くを喪失するからだ。男は五十の声を聞いても、少年ジャンプを読んでオナニーしてればいい。だが女は、若さも、美しさも、朗らかさも、すべての持ち物をただ時間に奪われていく。諸君は美魔女などという単語を聞くとき、眉をひそめてはならない。なぜならそれは、己が死への追悼を読みかえているのであり、弔辞を聞くときの厳粛さで受け止めるべきである。閑話休題。この映画を見て、例えば初めてのセックスのときに有線で流れていた曲のように、特別な記憶を呼び起こさないままにアポロチョコを食べることは、私にとって永遠に不可能となった。
範馬刃牙

父性の本質は暴力だとどこかで書いたが、父親から行使される暴力の本質とは、無謬性ではないか。つまり、問答無用でぶん殴り、その正しさの証明が必要ないことだ。一方で、母親との関係はどこまでつきつめても、感情に落とし込まれる。父親がその父性を完遂するには、より強い暴力に負けないことが必要だ。多くの誤解を恐れずあえて言うと、昨今は父親が息子を問答無用にボコれば、即座に児童保護施設や警察がとんできかねない。家庭外の権力に屈した瞬間、あるいは長じた息子に殴り返された瞬間、父性は終わりを迎える。もしかすると人類史上、例えば狩猟を中心とした社会などでは、敗北しない父性が存在した可能性はあるだろう。しかしながら現代において父親とは、あらかじめその過ちを誰かに証明されるために存在する何かなのだ。ざっと最終回の感想を確認したところ、否定的なものがほとんどだった。わたしはこの結末を肯定する。あえて敗北を描かないことで、父性を描ききったからだ。
新少林寺

すごく久しぶりに中国映画を見たのだが、自分の中にアジアの物語文法が強く残っていることがわかって驚いた。考えてみれば、年代的にはちょうどキョンシーやらジャッキー・チェンやらが大流行した頃に少年時代を過ごし、その亜流を含めて山ほどアジア映画を見てきたのだから、当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。ひらたく言えば、感動した。ダークナイト・ライジングよりも、はるかにグッときた。いまから言うことは私を含め、ヒエラルキーの大部分を構成する人々を慰撫するためのステレオタイプだとわかっている。そして、あらかじめ設定した期待値を超えるかどうかが映画の評価につながる自分の傾向を自覚してもいる。新少林寺を見たときの気持ちは「雨に濡れながら捨て猫にミルクをやる不良少年」を見たときのそれと同等であり、ダークナイト・ライジングを見たときの気持ちは「夜中に裏山で捨て犬にエアガンの試し撃ちをする優等生」を見たときのそれと同等である。ヒエラルキーの頂点を形成する優等生諸君には申し訳ない例えだった。しかしながら、「数百年を経た寺社仏閣に躊躇なく大砲を打ち込む紅毛人をゲリラ作戦で奇襲して惨殺するアジア人」を見たときの気持ちは、不良少年も優等生も私に同様であろうと思う。ローマにとってのシルクロードの例えを持ち出すまでもなく、西洋には人類史の黎明期に刷り込まれた東洋への劣等感が内在している。差別意識とは、すべからく恐怖心に由来するのだから。
BIUTIFUL

『幸せにしてやりたいと思っている。でも、その方法がわからないんだ』。太陽と、鏡と、霊媒と。死者の声は聞こえても、生者とどう向きあえばいいのか、わからない。一個の死に向けて、収束しようとしない世界。それは逆説的に、あらゆる生命が平等であることを証明している。ようやく、イニャリトゥが日常の舞台に戻ってきました。基本的にいつも結末を投げっぱなしの監督ですが、その個性が今回は物語のテーマと絡みあって素晴らしい効果をあげています。私は本作こそが、氏の最高傑作であることを疑いません。けれど残念なことに、本邦ではバベルほどに視聴されないのは必定です。なぜなら前作をみなさんがご覧になったのは、ケン・ワタナベが中核的な役割を演じたノーラン監督のインセプションと同じく、菊地うん子? まん子、でしたっけ? 名前はよく覚えていませんが、自国の俳優が出演しているという事実が主たる理由だったでしょう。あらゆるマーケティングや作品の出来そのものさえも押しのけて、自国の俳優が出演しているかどうかが、外国映画の最大の広報になるお国柄です。これじゃ、近隣諸国の愛国的な所作を笑えません。BIUTIFUL、みんな見てね、アジアからは中国人しか出てないけどね、ホモのね。
ドラゴンクエスト10

正直、全然期待してなかった。発売の時期的にディアブロ3をヘビー(社畜なりの)にプレイしていると思っていたので、アマゾンで予約注文こそしたものの、届くまでその存在をすっかり忘れていた。ちょうどディアブロ3に行き詰まりを感じていたこともあり、ほとんど気の迷いみたいにWiiの埃をはらってインストールしてみたところ、気がつけば週末通して30時間くらいプレイしていた。自分でもびっくりした。MMOなのにオフゲーっぽい雰囲気で、シナリオを追うだけならソロでも大丈夫なバランス。底意地の悪い楽しみ方だが、ビッグタイトルが閾値を下げたゆえに流入した、従来のネットゲーにいなかった層のふるまいを見ているだけでも相当に面白い。無料期間が終わればこういう奇矯な人々はガクッと減るだろうので、立ち上げ時期限定の状況だとは思う。そしてやはりと言うべきか、全体的に同社のFF11を徹底的に研究している感じがあって、そのコアな部分への意識した逆張りで、カジュアルなオンラインゲームを作ろうとする姿勢が見えて好ましい。公式サイトの冒険者の広場や3DSでのすれちがい通信プログラムの配信など、MMOなのにプレイヤーを外へ外へと誘導していく感じも新しい。FF11なんてもう怖くて触れない(時間的に)といった社畜の諸君にも、接続への脅迫なしに楽しめる仕上がりである。グラフィックは確かにアレだが、じっさい触ってみれば、ゲームにとってそれは三の次くらいだと納得できるだろう。本邦の企業体はとかく改革を叫びがちだが、その実質はほとんど革命に近い。過去をすべて棄却して、ゼロからの土台に何かを築こうとする姿勢だ。伝統や踏襲が検証なしに悪とみなされ、新しいアイデアは新規に議論されたという事実のみが重視され、その自己陶酔感の中でこれまた検証の薄いままに実施されていく。かくして、名と外殻のみを同じうする異形が世に顕現するのである。例えば、現在のファイナルファンタジーはもはや異形と化している。ディアブロ3も、たぶんそうなんだろう。必要なのは不易の部分を見極めることであり、今作ではオンライン化という最大の流行を前にして、その他すべてを変えないという決断が成されている点がすばらしいのだ。え、国民的ビッグタイトルだから、だれも進言できないだけじゃないかって? なるほど、確かにそうかもしれない。しかし、得られた結果がプラスならば、何の問題も無いではないか。とかく自信の無いヤツほど、転職やら何やら、ウロウロと意味もなく現状を変えたがるものだ。我らがホーリー遊児の、確たる才能に裏付けられた安定感を見よ。明確な意志ではなく、喪失した自信が薄っぺらな変化を加速させている本邦で、その変わらなさは力強い輝きを放っている。もちろん、薄毛的な意味ではないよ。
カンフーハッスル

いつ見ても、日本のサブカルの精髄が、他国民によって深く尊重され、みごとに換骨奪胎される様に、歯噛みをする思いになる。本邦の自称・映像作家たちになぜこれができないかと言えば、スクールカーストにおける位置づけが実社会でも保持されるからに違いない。おたくどもの手なぐさみを、リア充の俺がカッコよく昇華してやろうという勘違いが修正されず、名作の普遍性が個人の自己実現に卑小化される。閑話休題。この作品が真にすばらしいのは、アジア人の貧相なオッサンを底の知れない、不気味な達人として描いている点だ。西欧からの根深い人種的蔑視を取り除くには、この手法しかない。今こそ我々には、第二のショー・コスギが必要である。すなわち、「日本人はみな、ニンジャかサムライ」というステレオタイプを虚構の側から補強する映像作品だ。西欧の街並みを行けば、十戒の如く日本人の前に道ができる。それくらい徹底的にやって欲しい。「中間管理職の悲哀」がテーマみたいな、リアル貧相オッサンがターゲットの時代物はもうおなかいっぱいです。
ドラゴンズ・ドグマ

ディアブロ3の長すぎるメンテに苛立ちながら続きをプレイ。オープンワールド風味のモンスターハンター風アクションという所感はゆるがず。スカイリムを知らなければ、あるいはもっと楽しめたのかもしれない。そういえば3DOのゲームって、全般的にこんなプレイ感覚だったよな。
テラビシアにかける橋

もっとも大きな喜びの裏側で、もっとも大きな悲惨が行われる。両者の無関心、無関係こそが、この世界にある残酷さの正体だ。ぼくは喪失を知らない。ぼくはなにも好きではないし、ぼくにとってなにも大切ではないからだ。この命が消えるとき、ぼくはきっと喪失を感じるだろう。それはたぶん、 はたされなかった夢への後悔にちがいない。ぼくはただ、喪失を知りたかった。
リアル・スティール

ロッキー+オーバー・ザ・トップ+プラレス三四郎。え、そもそもロボット物である必然性が感じられないだって? この大馬鹿野郎ッ! それを言い出したら、二足歩行のロボットを本邦の大企業が大真面目に大枚はたいて作る客観的な整合性なんざ一ミリもねえよ! 結局、理系なんてのは論理でもなんでもねえ、ガンダム近辺のロボット群に呪われた連中の文学的感傷でできてんだよ! 言ってみりゃ、男のロマンなんだよ! ともあれ、全国一千万の理系おたくa.k.a.超悪男子諸君にとって、必見の作品であることだけは間違いない!
the definitive SIMON and GARFUNKEL

ただ鎮魂を願う心の静謐さを、いったい何に託せばいいだろう。あれは小学校に上がる前だったろうか。テレビの子ども向け番組から流れていた、透明な歌声を思い出す。意味もわからぬまま、ただ聞き入った。あの頃、幸福に、生きることに、何の条件も承認も必要なかった。幼少期の幸せな静けさと結びついたあのハーモニーこそが、鎮魂にふさわしい――ギャアーッ(左目を押さえて床を転げ回る)! 永く封印せし深奥の秘に共鳴し……忘却の彼方より来たりて我が懊悩を増幅させるッ……!! 其の深淵での逢瀬が記憶……慄然たる極寒との邂逅を、成熟せし我が魂縛へ魔術の如く齎す……當に……冬の散歩道……!! 何だ此の……懐かしくも疎ましい……禍々しく律動する、冥府の詩句は……ッ!!  聞いているあいだずっと、額と両脇からネバネバした変な汗が出てきて止まらない! どの歌詞もすごい中二病で、その病理のあり方が日本的なことに何より驚かされた! そういえばポール・サイモンって、よく見るとなんか「まさる」って感じだしな! 「(舌たらずの声で)ねえねえ、あんちゃん! きよしこの夜のバックに悲惨なニュースを流してみたらどうかな!」「(爆発した頭髪で)冴えてんな、まさる! すげえ風刺がきいてるぜ!」 「(青鼻を垂らしながら)えへへ」 なんかもう、鎮魂とかどうでもよくなった! 鎮魂って、そういやチンコと音が似てるもんな! (ヘビメタ風の衣装をした男がエレキギターをへし折りながら)アイ・アム・ア・ロオオォォォォック!
カイジ2

たぶん、原作の展開を知らない人間が最も楽しめるでしょう。そして、私はその人間でした。あの、邦画のシナリオの出来を云々するのも野暮ですので、ひとつだけ言わせて下さい。胴元がルールと支払いに誠実過ぎます。
ミッション・インポッシブル4

あれから一年、本邦にとって記念すべき今日、塩漬けの核弾頭よりも稼働中の原子炉がずっと危険であることがわかり、核技術の流出よりも原発へのテロがはるかに現実味を持つようになってしまった世界で、このフィクションは私たちにとってむしろ逆説的な批評性を帯びて迫って――こねえよ! この毛唐ども、みじんも俺たちのことなんて考えてねえ! エヴァ風に言うなら「私たちはいらないのよ! イーサンだけがいればいいのよ!」であり、島本和彦風に言うなら「なぜ地上130階にサーバールームを作るのかって? ハハハ、その方が盛り上がるじゃないか!」であり、某スイマー風に言うなら「ちくしょー、なんも考えられねー!」であり、小林秀雄風に言うなら「トム・クルーズのバカは疾走する。観客は追いつけない」である! イケメンのバカ、うなるほどの富と名声を持ったハイパーバカによる、「とりあえず味は考えずに具材を全部入れてみたアクション闇鍋」がこの映画なのだ! この時代にクレムリンを爆破してみようなんてプロットを思いついて、じっさい爆破してみるなんてもう頭が悪すぎる(褒めてます)! どうでもいいけど、ゴーストプロトコルって何だろうね! 見終わったいま、そんな瑣末なこと本当にどうでもいいんだけどね!
ロック・ユー!

「この世界でお前は勝てない。お前に勝てる世界などない」。プロレス+大リーグ+ロック+馬上試合。何度見てもグッと来る。そして何度見ても、私は鍛冶屋の娘と結婚する。
三銃士

飛空船の意味なし! 何も考えていない! だから、何も考えなくていい! ザッツ・エンターテイメント!
マネーボール

弱いものが勝つためには、既存のルールを変えるしかない。実のところ、みんなそれはわかっている。ただ、何の権威もない、誰にも証明されていない新しいルールと添いとげ、心中する覚悟のある誰かを持つことが最も難しい。勝利は、リスクを最小限におさえることを最優先に考える官僚の仕儀から、はるか遠いところにある。
 

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