世界はあまりに膨大になりすぎたため、ただの羅針盤にさえ重大な意味がある。

愛のうた


サンシャイン・クリーニング

どぎつくもあざとい設定の組み方や、とっちらかった伏線を全く回収しようとしないシナリオに肯定的な印象を持てるかどうかが評価の分水嶺になるだろう。私が「リトル・ミス~」を愛していることは、すでに諸君へ伝わっていることと思う。物語の始まりと終わりで主人公の立ち位置や世界観が大きく変わったことを実感できるのが良い物語の条件だ。この映画において、主人公の客観的状況は開始時点より悪化したままで終わるのだが、にも関わらず爽やかですらある“読後感”を視聴者に与えている。君の人生の一部を物語として切り出して提示することを想像して欲しい。きっとエンドマークの位置が全体の印象を決定するだろう。この物語では、人間関係でままある錯覚の瞬間にそれを持ってきた。感情剥き出しの大喧嘩の後に互いの関係が深まったと感ずるような、祈りにも似たあの錯覚だ。それは日常という偉大な復元力を前にして、気づけばいつもすっかり元通りに、何も無かったのと同じに戻ってしまう。本作の主人公もエンドロールを越えた先で、まるで何も無かったかのようになんとかしのいでやっていくだろう。だがそれでも、何も無かったよりはずっといいのだ。だから、私はこの映画を肯定したい。
2012

すべての遺跡を破壊し、すべての人種を殺害し、すべての国家を沈没させ、すべての歴史を葬り去るエメリッヒの視座は、もしかすると神だけが持つ究極の公平さを達成しているのではないかと一瞬考えたが、結局のところそんなのは全くの気のせいだったぜ!
96時間

アクションとしての爽快さに加え、「悪役をブッ殺す理由が万人にとって正当」という爽快さがたまりません。悪役はブッ殺されるほど悪いんだから同情なんか不要だし、オマエ、悪の組織が体現する社会矛盾なんて知りたくもねえんだよ! 娯楽でまで俺に説教すんじゃねえ!
エスター

小生が本作を視聴したのは、キナくさい思想統制社会到来の足音に少女方面での需要を煽られたゆえだが、結果として大当たりだった。良質なホラー映画の特徴は、表面的な残酷さではなく、あらゆる人間の無意識に刻まれた普遍的な恐怖へ肉薄する点にある。例えば以前取り上げた「ホステル」では、コミュニケーションが欠落した瞬間に異物と化す他者への恐怖を描いている。直截な殺人の描写は一種のフレイバーでしかない。本作では、娘に対して母親が潜在的に抱く恐れが描かれている。すなわち、「女としての娘」だ。該当する婦女子にとって無意識へじかに手をつっこまれるような体験となるはずであり、これは忠告だが、本作を視聴させるときには万全の注意を払うべきだ。そして、児童に銃を持たせたり、児童を半殺しにしたり、児童にポルノすれすれの行為をさせたりしながらも、物語はきわどいことろで多くの人々が許容できる社会性の範疇へ着地している。極端な描写を自己目的化し、指摘されると過激化する例の方々にはぜひ見習っていただきたい。あと、ホラーの文法で撮影するとどんな日常もホラーになることがわかった。公園のシーンなんかほとんど笑えるくらい。
サマーウォーズ

サブカル的なジャンルの魅力は、最高のものと最低のものが「等価値で」同居できるところにあると常々考えてきた。そして、作品内のエレメントが漏れだして他と混郁しないよう、ある種の細胞膜で守られているという暗黙の前提があると思っていた。本作が凄まじいのは、じつに軽々とその、頑なな旧来的偏見を飛び越えたところである。現代の本邦におけるアニメという現象が図らずも自己総括的に一点へと集約した、奇跡の作品と断言することにもはや何のためらいもない。そう、最高峰の技術力と最底辺のドラマ性、例えるなら高級ウイスキーの泥水割り。某有名大作RPGと同じく、問題提起としての重要性だけが極限まで振り切れている。あの、だんだん不安になってきたから聞くけど、みんながすごい注目してるのって、この観点からだよね?
双剣に馳せる夢

居酒屋の与太話にカネをかけて映像化した感じ。中身というより、その成立の外殻部分がすごくおたくの本質を表している気がする。
未来を写した子どもたち

あの、己が相手よりも優位であることを確認したときにのみ発動される、自己愛保障と密接に絡みあった西洋的贖罪の典型例に寒気がした。なぜ、他のどの子どもでもなく、この子どもたちなのかという問いは、「優れた自分」が選んだという自意識の段階で完全に放棄され、枠組みへの問いかけはほとんど意図的に無視される。子どもたちの写真にしたところで、みなさまご存知、「社会的・身体的欠損を抱えた作者の出自にだけ意味がある」類の作品群に留まり、視聴前に期待した「真の芸術のもたらす救済の普遍性」には到底及ぶものではなかった。ドキュメンタリー単体としての構成も劣悪で、後進国の子どもをダシにした自己喧伝以上の中身を感じることは、もしあなたが正気ならば極めて難しいだろう。白人の自意識が放つおぞましさに恐怖したいという特殊性癖の持ち主にしかお薦めできない映画であるにも関わらず、本邦の文科省がアジア的前歯を前方へ突き出しながら推薦を与えているのは、もちろん「アカデミー賞最優秀ドキュメンタリー賞」という冠に対するアジア的劣等感が最たる理由だろうことは想像に難くない。
縞模様のパジャマの少年

嘘をついてしまう。言葉は軽くて、意味がなくて、いつだって取り返しがつくはずだから。
レスラー

聞いてくれ。いまだnWoを更新することができて感謝する。多くの人に「もうムリだ」と言われたが、これしかない。人を遠ざけるようなまねばかりして、アクセス数を減らしてきたツケはむろん払うしかない。このホームページ運営、来訪者をすべて失うこともある。今やネタは古いし、更新も少ないし、文章もガタがきてる。でも、俺は更新を続けている。俺はまだ小鳥猊下だ。時を過ぎれば人は言う。「あいつはもうダメだ、終わりだ、落ち目だ、お払い箱だ」。だが、いいか。俺に「更新を辞めろ」という資格があるのは、ファンだけだ。これを見ているみんながnWoを存続させてくれる、俺の大切な家族だ。愛してるよ、ありがとう。
アンチャーテッド2

「アングラサイトのくせに、大作ゲーム好きなんですね。ハハ、コンプレックスの現れですか?」などと揶揄され、たちまちカッとなる新世紀火の玉ボーイ・怒瞋恚(イカリシンイ)a.k.a.小鳥猊下であるが、先に取り上げた某有名大作RPG(この部分はMGSに置換してもよい)を正確に批評し日米の文化論にまで展開することを目指す場合、本作をプレイすることが正に必須であるとご進言申し上げたい。某大作RPGに否定的な言及を行うとき、「一本道」という指摘がうんざりするほど頻繁だが、実のところそれ自体は何ら批判には当たらないのである。本作は一本道だがすべての道行は作り手の意志ある演出によって成され、グラフィックは美麗だがゲーム性とプレイアビリティを阻害するほど過剰ではなく、操作は平易で直感的だがプレイヤーの望むあらゆる動きをカバーする。「演出絶無の散漫な道行」「遊び手の利便を無視した美麗さ」「煩雑なのに限定的な操作」をなぜか志向してしまう本邦の大作群とは極めて対照的であり、もはや遺伝子レベルでの民族性の違いすら感じさせる壮大な隔絶である。ストーリーにしたところで、複雑な設定はテキスト式ゲームの方がよほどうまく伝えられるだろうし、内面の吐露は私小説の方がジャンルとしてむしろ適切であろうにと思う。それにしても、こういった斬新かつ贅沢な切り口を惜しげもなく無償で野良犬どもへ投げ与える俺様の気前の良さには、婦女子たちもモニターの前で陰部をまさぐりながら恍惚としているのに違いない。
ファイナルファンタジー13

「青みがかった亀頭をすりあげて柔らかくする行為を終盤は繰り返した」と記述すれば、愚鈍な貴様らにも俺様とこの作品の間に生じた連絡を容易に想像することができよう。しかしながら、製作者の想定する最も理想的なプレイ環境であろう巨大スクリーンと7つ以上のスピーカーを備えた大邸宅に住まう俺様でさえ、エンディングまでに幾度も意識が消失し、虎の毛皮のガウンから桃色の乳首をのぞかせながら足首まで埋まる毛足の絨毯をブランデーで汚したことを告白せずばなるまい。なので、14インチブラウン管と1つのスピーカーを備えたワンルームマンションに大家族で住まうアジア在住の貴様らの評価が本作品へ対して著しく低いのには、憐れみと共に大いに首肯できる。話は突然に変わるが、先日、アバターを視聴した。映像の素晴らしさは言及するまでもないが、主人公が共同体に受け入れられ、お互いに肩を組んで住民の全員がつながってゆく場面に、なぜか自然と涙が流れた。たぶん、映像のスケールと物語の難解さが同時に追求できないものであることを大キャメロンは理解しているのだと思う。俗に王道と呼ばれる人類史的な蓄積にしか、最先端の技術で作成した映像の説得力を受け止めることができないのだ。個人の内側だけで思いついた奇抜な構成や奇矯な造語は、たちまち薄っぺらな小細工として馬脚をあわらしてしまう。あと、本作品が12人の美少女を使徒に従えたキリストの復活をモチーフにしていないのは、nWoの明白な敗北だと思った。
バタフライ・エフェクト3

「ジャンプによる過去の改変がどこまで状況と記憶を保持するのか?」が曖昧なため、筋立ては崩壊しており、そのシナリオ由来のダルさを解消しようとより過激な(エログロ方向の)映像を付け加えるという、ある意味では正統的とも言える続編ダメ映画転落の経路をたどっていることに、1作目のファンである小生は大いに脱力した。森よりも木が大切なパーツ偏愛狂である「ヤンデレ・妹萌え」の諸氏なら見る価値があるんじゃねえの、と小指の第二関節までを鼻腔へ挿入しながら小生は発言するのであった。あと、三回くらい体位を変えて延々と突きまくったあげくに恋人の写真を見て、「ごめん、できないよ」と発言し「あんたホモなの?」と返答する場面は本作の白眉だが、射精と着床までが正しいセックスですというキリスト教的性倫理を体現しているのではなく、脚本と撮影が乖離してしまっている現場の混乱を裏に読むのがツウの見方であろう。スリーだけどってやかましいわ。
ミルク

人種差別に対する抵抗は生殖とコミュニケーションを前提とするため、公民権運動への共感を自然に得ることができた。同性愛差別に対する抵抗はコミュニケーションを前提とするため、公民権運動への理解を条件つきで得ることができた。しかし、二次元や幼形を愛することへの差別に対する抵抗は生殖とコミュニケーションのいずれも前提としないがゆえに、公民権運動へは広がりようがない。在野のハーヴィ・ミルクたちへ告ぐ、ただ潜伏せよ。ネットで行われる論議の声高さに関わらず、この闘争に勝利するべき理はどこにも存在しないのだ。
見知らぬ明日

死の気配が濃く漂う本文に、切り取られた四肢の断面の如き異様な末尾。想像してみてくれ。目前に迫る確実な死に際して、いずれの神にも懺悔しようとせず、ありあまるカネを使おうとせず、友人との旧交を暖めようとせず、近親との思い出を作ろうとせず、ただひとり、終わるはずのない物語を書き続ける。想像してみてくれ。ぞっとしないか、そんな深淵があることに。
スター・トレック

時代を超えて幾度も復活する作品というのは、どれも類い稀な熱気と愛情に満ちている。本作品もまた然りであり、細部にまで行き届いた気配りが荒唐無稽なスケール感を裏打ちするバランスに、我が胸と目頭は自然と熱くなった。そして、賢くて論理的な人物よりも、危機に際して「大丈夫だ」と言えるヤツがボスになるという展開は、人生の季節的に我が胸へ強く迫ったのだった。余談だが、TNG世代の私は、当時その視聴を我が英語へ大きく寄与させたものだ。例えば、pikar-ed 「a.禿頭の」など、過去分詞の用法に対する深い造詣を通じて、諸君はその成果を垣間見ることができよう。かように、SFドラマが青少年に与える正の効果は大きいのである。本邦では主にアニメがその役割を担っていると言えるが、保護者が免罪符的な学習効果を期待して連れてゆく科学技術ナントカよりは、頒布性の高い実写のSFドラマに予算を割いた方が十年後の科学技術は明るくなると、半ば本気で信じている。
 

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