世界はあまりに膨大になりすぎたため、ただの羅針盤にさえ重大な意味がある。

愛のうた


クリスマスキャロル

ディケンズをCGてんこ盛りの3Dアドベンチャーへと仕立て上げるアメリカ的心性に笑いが止まらない。ディズニーを期待して見ても裏切られ、ディケンズを期待して見ても裏切られる、誰が得をするのかさっぱりわからない、正に文字通りの怪作だ。とりあえずイギリス国民はこの冒涜に蜂起するべきだし、聖夜に女子供と映像を視聴したいナンパな向きは同監督のポーラー・エクスプレスの方を選ぶべきだと思った。
運命のボタン

失敗したツイン・ピークス、そしてデビッド・リンチ。夢や無意識が理に落ちたときのつまらなさ。しかしながら、初期設定のうまさだけは突出しており、今後ますます被害は拡大してゆくことであろう。本年度のnWoラジー賞、ここに決定。
ヒックとドラゴン

芸術は血を求める。本作が多くの原住民の血をすすり、多くの黄色人種の血をすすり、多くの異教徒の血をすすった果てに結実した傑作であることを考えれば、その人類史的とも言える莫大な道程に、しばし呆然とさせられる。そして、日本の成人男性中央値a.k.a.小鳥猊下の元へこれまでほとんど何も評判が聞こえなかったことを鑑みれば、死を賭して国を守護した英霊たちへ最敬礼の血涙を流しながらなお、本邦の同胞たちの積極的な滅亡を祈願させられる。しかしながら、ひとつの巨悪を打倒した果てに訪れる平和という解決は、フセイン殺害を企図した際の国家的妄想を越えておらず、虚構の限界を露呈していると感じた。
タクティクス・オウガ

ロスジェネ世代の日雇いドカチンにゃ、ゲームをやる時間なんてねーのです。「プレイしないで済むゲーム」という冗談が笑えなくなった、そんなブルーカラーの諸氏におすすめです。まずはじめに職業と装備をセット。あとは欠けた茶碗で安酒をあおりつつ、ブラウン管で競艇を見ながら下半身をまさぐるだけ。そうすると、あら、ふしぎ! レベルアップ! お宝ゲット! AIさいこう! 炭坑節・オルガスムさいこう!
トイ・ストーリー3

本当に大切なものだから、だれかが汚さないうちに終わらせる。子どもの目には夢の国、大人の胸には死の気配。どこも壊していないのに、ほら、もう何の足し引きもできなくなった。己が代換品であることを知りながら、なお生きなければならないあなたへ送る、数少ない本物のマイルストーン。
ザ・ウォーカー

神の声を聞き、荒野に三十年を放浪する。現代の使徒言行録に説得力を持たせるため、逆算で舞台を設定した感じですね。マッドマックスとか、北斗の拳とか、フォール・アウトとか、そういうの。原題を見た瞬間、"Eli, Eli, lama sabachthani?"を直ちに想起し、「ア・ハーン、なるほど。神の本ね、アレね」と実にいやらしい表情を浮かべ、すべてわかった気で正面から物語へ組みに行った半可通の醜いピッグめは、オチの部分で制作者の意図通り、びっくりするぐらいきれいに背負い投げをくらいました。イーライの聖書。
夢と犯罪

この筋立て、英国で作ればユアン・マクレガーの主演で映画になり、日本で作れば青木雄二の絵柄で漫画になる。諸君、これが文化の差と呼ばれるものだ。
アイアンマン2

前作のキャラと伏線があって、どうしてここまでつまらなくできるのか、襟元つかんで大声で問いただしたくなる仕上がり。6months laterってさあ、正味、前作ではアイアンマンまったく世間的には活躍してないんだから、この6monthsをこそ、湯水の如くカネを使ってのお大尽悪党退治行として描写しなきゃダメじゃん。それを新聞記事のヘッドラインだけでサラッと流して、主人公が悩むダウナー話――ダウニーだけにな!――を延々とやられたって、少しも感情移入できないわけ。あと、前作は誕生秘話に時間が割かれてて尺そのものが短かったので気にならなかったけど、パワードスーツによる戦闘シーンの引き出しが異様に少ないと感じた。続編作る気マンマンの引きで終わったけど、誰か制作サイドに宇宙刑事シリーズとか送ってあげてください。あと、みんなミッキー・ロークにビビってない? 役としてじゃなく、共演者として。
アイアンマン

ロバート・ダウニーJr.が見たくなったので視聴しました。シャーロック・ホームズで、メイドの性倫理についてジョークを飛ばしているところに「私の妻はメイドです」と返されたときの彼の表情と演技の間が忘れられなかったからです。文章では表現できねえなあ、と感じたのをいま思い出しました。nWoは皆の脳内にある映像プールを共有財産とし、より短い表現でのイメージ伝達を企図しておりますので、その敗北感はなおさらでしょう。映画の内容は例によってアメリカの贖罪がテーマですが、それを指摘したくないほど歯切れよく、スカッとしました。俳優の力ってすごいですね。でも、副社長は世界各地を瞬間移動しすぎだと思った。
零の軌跡

おれ、最後にこのシリーズをプレイしたのって、ドラゴンスレイヤーって副題がついてた頃だから、熱心なファンとは言えないんだけど、すごい楽しんだなあ。プレイ時間の8割くらいはテキスト読んでる感じで、面白さの構成要素は大部分がゲームってより小説なんだけど、すごい楽しんだ。グラフィックはスーパーファミコンなんだよ、そのまま移植できんじゃねえかってくらいスーパーファミコン。でもさあ、場面場面の演出がドット絵独特の方法論でさあ、すごいグッとくるわけ。ドット絵の立ち姿が涙を流してるように見えるとかって、すごい日本人の心性に根ざしてるって感じがするなあ。エヴァ以降に能面キャラが流行ったけど、感情を見せないのに悲しかったり切なかったりするのは、日本庭園なんかがそうだけど、観測者の主観において無限の宇宙を形成できるっていう見立て文化の心性に依るところが大きいんじゃないかなあ。その意味で、欧米ではウケないってのはすごいわかる。受容器官がないんだもん、アイツら。話もどすけど、最近の本邦のゲームってさあ、その心性からどんどん離れていってるって感じるわけ。マシンの性能がすごい上がったおかげで、映画とかの映像技術が流入してきて、ドット絵の演出作法とかを根こそぎ駆逐してるの。いや、別に欧米の方はそれでいいんだよ。ゲームの機能は映画芸術が欠いていたインタラクティブ性の補完だって喝破されて、映画大なりの不等号が明確になって、そのうち完全に吸収されたってさ、別に構やしないの。でも、日本人にとってはさ、ゲームの、ドット絵の演出って、技術的障壁がもたらした単なる制限以上の意味合いがあったんじゃないかなあって思うわけ。CGの技術とか、まあもともとコンピューターが欧米発信だから、向こうに学ぶしかないってのはわかるけど、日本人の心性が省みられなくなるんじゃないかって、すごい気になる。技術だけ学べばっていってもさあ、あっちの技術だって表現への欲求が要請して出てきたものじゃん? 欧米の表現形式、さらに言えば心性に、使っていくうちに取り込まれちゃうんじゃないかなあ。市場規模がよく引き合いに出されるけど、いちユーザーにとっては全くもって知ったことじゃないし、世界の映画賞なんか見ててもやっぱ地域性みたいのが受賞の理由だったりするじゃん。ノーベル文学賞もそうだよね。欧米技術の取り込みがそういう部分とトレードオフになってんじゃねえのって、すごい疑問感じちゃうわけ。あと、映像表現の本質って、いかに現実の見え方をデフォルメするかってとこに尽きると思うけど、日本の場合、どれだけ情報を削ぎ落とせるか、どこまで削ぎ落として伝わるかって視点が入ってくると思うのね。おれ、エヴァ破がすごい好きなんだけど、この問いかけにちゃんと定観を持ってて、アニメって分野が本質的に解答を含んでたって側面もあると思うけど、ある程度までは答えを出してるってのが、好きな理由として大きいような気がする。おれ、ノンポリだけど文化的右翼だからさあ、こんなことばっか考えてんの。ダラダラ書いてきてさ、何が言いたいかってえと、零の軌跡、すごい楽しんだなあってことと、社名に日本がついていて海外展開しないうちは、おれ右翼なんで、この方向性を全力で応援するってことだよ、言わせんな恥ずかしい。
ハングオーバー

アメリカのコメディはちゃんと社会装置として機能してていいなあ。権威の可視化とそれの抑制が自分たちの役目だってわかってて、すごく意識的にやってんの。アメリカのコメディアンは政治家にならないもんなあ。それにひきかえ日本の芸人って、すごく世間の常識の枠組みを意識してるじゃん? なんでも米国に倣ってるくせに、コメディの作法だけは怖くて真似できないんだからさあ、腰抜けだよなあ。貴種や障害や不可触や大陸や半島、どれもこれも前人未到のネタ宝庫じゃん。例えば半島の言語に当てつけて、平仮名だけで論文書く大学教授とか登場させてさあ、言葉のせいで抽象思考ができないのを虚仮にしまくんの。でも、アジア人の英語を馬鹿にするネタだけはもうやめて下さい!! 泣いてる子もいるんですよ!
ロフト.

「来世でなら、あるかもしれないけど」。君とぼくの生息する文化圏とは二重の意味で正反対の世界を描いているなあと思って見ていたら、気がつけば犯人は君とぼくだった。あれ、松井選手? 試合、どうしはったんですか?
ジュリー&ジュリア

「有名になりたい女子が、過去の有名人をブログで利用した」という印象を最後まで消せなかったアルファブロガーの俺様である。結局、現実に両者の交流が皆無だったので、二つのストーリーラインのザッピングが一つの落しどころを持てないままの中途半端なエンディングで、物語的には非常に座りが悪い。実話だから仕方ないと言えばそうだが、故人に対する配慮が"based on two true stories"という奇怪な冒頭辞に現れており、制作側の苦労が忍ばれる。あと、よく見たらメリル・ストリープってジグソウの俳優にそっくりだな、と思った。
隣の家の少女

撮影は映画というよりTVドラマであり、いくら映像での残酷描写を重ねようと、その悲惨さにおいて原作へ遠く及ばないことが逆説的に原作の凄まじさを際立たせるが、毒親の支配する家庭の空気だけは存分に追体験することができる。本邦においては、おそらくエロゲーだけがこの作品の持つ文学性を再現できる唯一のジャンルであろう。さあ、思い出せ。おまえたちが創造と呼ぶそれが、天上から来た祝福ではなく、この地下室に由来する呪いであることを。そしてこの、顔面が不自由なヒロインを、萌え美少女へと昇華してくれ!
刑務所の前3

これを好きと言うと、ニワカ・サブカルかぶれを看破することを何よりの娯楽とする、リアル・サブカリストの方々が口の端を歪めて「ア・ハーン」という表情をするのがイヤでイヤで、あえて表明を避けてきたアングラサイト運営のこんなぼくですが、ずっと前から先輩のことが好きでした!
 

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